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地方によるかもしれまへんが、いろんな風習とか有りますねぇ。

その一つが「寸志」。

以前、葬儀屋にパンフレット貰った中に「葬儀において、バス運転者や焼き場の職員に「心付け」として、3~5000円の「寸志」をそれぞれ御用意してください」と書いてありました。

なもんだから、ジサマを病院から家へ搬送してもらった人に「寸志」として、とにかく3000円渡したのです。

葬儀社の人が打ち合わせ来た時、「やっぱし運転手などに対して寸志は必要なのでしょうねぇ。焼き場の人には、いくら位良いでしょうか?」と尋ねたんです。

そしたら、あぁたぁ~・・・
「あっ、それねぇ、3年ほど前に市議会で問題になり、焼き場職員等に寸志を渡すのは、おかしいのではないかという事になり、今は運転手にも渡さない事になってます。」

あちゃあぁ・・もう渡してしまったでえ、今更返せとも言えんが・・
運転手はホイホイと黙って受け取ったもんだから、そんな風習がまだ生きてると思ってた。
それならそうとパンフレットを訂正しといてくれれば良かったのにぃ。

σ(*_*)もオカシイと思ってたんだよねぇ。
ちゃんと給料貰ってるのに、何でそんな物やらにゃアカンのか・・と。

事前に越後屋にその旨を言って「止めよう」としたのだが、「いや、そおいう風習ならば、それに合わせておこう」と言ったもんだから、ついつい・・・。

この「寸志」だけでも?万円は、危なく吹っ飛ぶ所だった。

も一つの風習が「四九日」までの法要。

「初七日」から1週間毎の法要が、ホントは必要らしいです。
でも坊さんは「初七日」「三五日」「四九日」の法要に家へ来ると、坊さんから言いました。

ふう~ん、そんなに来るのか?
せいぜい「初七日」と「四九日」だけの2回だけかと思ってたが・・・。

でね、世間一般常識ではその法要、少なくとも「初七日」と「四九日」の法要日には親戚が集まるらしいです。

でも、ありがたい事に親戚から「法要は家族だけでやっていいよ。ワシら親戚を呼ばなくても良いから」と言ってくれ、その通りにしました。

親戚から、そのように言ってくれて、ホントに助かり、ありがたかった。

もし親戚の中に一人でも「法事に親戚を呼ぶのが当たり前じゃ、バカタレ、何考えとるんじゃ」と主張する者が居たら、こちらは葬儀で気付かれして休むヒマもなく後処理をしてる最中に、再び葬儀同様の、もんのすごく気遣いしなくてはならん所だった。

その親戚は最近、葬儀をした人だから、こちらの苦労がわかっていたんでしょうねぇ。

時々、寺のチラシが入ってるが、その中に「法事の時に、子供達は出席もせず遊びに出ている家が有る」と書いてあった。

ちなみに草家の「初七日」の時は、息子の一人は家で寝ており、もう一人は、やっと取れた休みなので遊びに行って二人とも出席せず、σ(*_*)はそれを許しました。

できれば、σ(*_*)も出席したくなかったのだが、そおもイカンよおで・・

普段から真の仏教とは何かを教える努力もしないのに、形だけの「押しつけ仏教風習」をチラシで訴えても、もう世情はその流れから離れていると思う。




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喪主の挨拶つうのが、たくさん有りましてなぁ。

1 家から葬儀所へ行く時に、家の前で近所の人達に挨拶。
2 通夜が終わった時の挨拶
3 葬儀終了後の挨拶
4 葬儀所から火葬場へ行く時に挨拶
5 葬儀の「おとき(食事)」が終わる時の挨拶

普段、大勢の人前で話した事がないもんだから、すっかりアガッちまって・・・

1の近所の人達への挨拶は、完全にアガッていた。

遍路・巡礼して人が居ても寺前で尺八吹いていた時は全然アガラないのですが、やっぱし、あれとこれは違うもんです。

挨拶も、よぉ~似た内容ばっかしで、何度も聞かされる方はオモロなかったと思う。

もっと挨拶の数を減らしても良いのではないのかとの声も有った。

でね、アガラないためカンニングペーパーを作っておいたんですよ。

結局ペーパーを見ずに話したので、アガッたのでしょうねぇ。

そいで一番最後の5の「おとき」終了の挨拶の時に

「え~・・・何ともはや、今までみっともない挨拶をしました。
実はσ(*_*)は、これこの通りカンニングーペーパーを用意してたんです。」と、ペーパーを出して、皆にヒラヒラと見せました。

一同、ドッと笑い声。

「そいで、せっかく作ったペーパーなので、これ見ながら最後の挨拶をさせてもらいます。」
と、2行ほどの短い挨拶文のペーパーを見ながら挨拶をし終わると、出席者全員から笑い声とパチパチと拍手がありました。

おいおい、すっかり飲み会における二次会のノリじゃないか(^O^)ナハハハ・・・

席に帰ると「今までの中で、一番良い挨拶だった」と笑いながら声を掛けてくれます。

普通、葬儀つうもんはシンミリとして、ボソボソと小さい声で話しをして、暗い雰囲気なものですが、今回の通夜・「おとき」は初めて見る出席者同士でも、思った以上に和気あいあいと話して笑い声も聞こえました。

これは、ジサマが亡くなった時に、すぐに駆けつけた親戚の人が、ジサマの軍隊時代の話しをした時、「ジサマがその時に使ってた軍刀が有る」と言って刀を抜いて見せ、どっかにぶつけないかとハラハラしながら持たせてあげたんです。

そしたら案の定、しっかり刃を触られちまった。
「いいですよ、後で手入れしますから」と、心とは裏腹に言っといたが。

その時の親戚一同が「初めて見た」と、もんのすごく喜んで感激してくれましてなぁ。

次の通夜も葬儀の時も、その親戚がジサマの古い写真を持って来て、それを皆に見せ、見知らぬ親戚同士も共通の話題ができたんです。

こおいう事が有ったので、通夜・葬儀を楽しく?過ごす事が出来ましたが、こおいう楽しい葬儀は初めてだった。

たぶんジサマも、親戚一同が集まって、それを話題に偲んで楽しく過ごしてくれたので喜んでいると思う。

ジサマの死は突然でなく予想出来てましたので、葬儀社から資料を取り寄せたりして、有る程度の葬儀準備をしておりました。

結果的には、突発的な事項が生じてアワワワ・・と汗をかく事も無く、無事終えました。

次の3点を事前に把握しておいたのが良かったと思う。
1 参列者の連絡一覧表
2 家族の葬儀役割
3 葬儀の実施内容順序の把握

今まで2回、喪主の手伝いをした事と、地元の葬儀に参列した事も2回有ったので、今回の葬儀では、どのような事をするのか、だいたい知っていた。

ホントは寺なんか呼ばず自由葬でやりたかったのだが、越後屋のジサマなので、越後屋の希望通り、世間一般的な葬儀をしました。

まずは葬儀社に連絡し、次いで寺へ連絡。
坊さんが枕経をあげてから、葬儀社との3者会談。

通夜・葬儀の日時を決定。

気になっていた坊主を何人呼ばねばならんのか?という事を、坊さんに直接聞くと「何人でも良いですよ。私一人でも良いですよ。」というありがたいお言葉。

ほんとは喜んで「そいじゃ一人でお願いします。」と言いたかったが、そこをグッとこらえて、もう一人知ってる坊さんが居たので二人でやってもらう事にした。

実は、σ(*_*)の両親の葬儀の時、坊主が3人来たのです。

その時に寺が「寂しかったら、もっと増やす事もできますよ」なんて事うもんだから、最低3人は呼ばなければアカンと思っていたんです。

ほれ・・なんせ坊主が一人増えたら、その増えた分だけ決して安くもない高額な布施が必要でしょうがぁ。

で、知らなかったのですが、葬儀会場へ飾るために寺から本尊を借りてこなければならないのですなぁ、ここら辺の風習では。

葬儀社からそれを言われ、その借り賃と布施の金額を聞くと「直接寺で聞いてくれ、教えなかったら、だいたいの相場を教える」と言います。

寺からの要望で「本尊を取りに来る時は二人で来て、助手席に本尊さんを置くというような事をせず、一人は後座席に座り、本尊を抱えて持っていて欲しい」というお言葉。

ふう~む、まぁ寺としては本尊さんだから粗末に扱ってほしくないんでしょねぇ。

で、言われるとおり息子の運転で取りに行き、本尊の貸し賃を聞くと「10万円」

ゲッ!!・・高っっっっっ!!

タダで貸してくれるか、お礼として1万も包めば良いかと思ってた。

そいでお布施の額を聞くと、これはさすがに値段を言いませんでしたねぇ。
まぁ、バサマの葬儀時の記録が残ってるので、それと同じにしようとは思ってたが・・

寺から家へ帰る時は、言われるまま後座席で、マジメな顔してσ(*_*)が本尊さんを抱えて持って来ました。

葬儀社に渡すと「はいよ」って感じで、片手で抱えて持って行っちゃった。

おいおい、そんな姿を寺が見たら怒るでぇ。
思わず息子と顔を見合わせて笑っちまった。(^O^)

ジサマが過日亡くなり、無事に葬儀も終えました。

介護生活1年半ほど・・永かったような短かったような。

まだσ(*_*)とこの場合は1年余りで終わったから良いが、もっと長期間に渡り介護生活をしなければならない人達は気の毒に思う。

葬儀が終わってからも家へ香典を持って来る人がおり、その一人のオバハンが見るからにヤツレて疲れた顔をしている。

σ(*_*)が香典を受取って挨拶したが、ジサマの介護様子を聞き始めた。

越後屋の知り合いらしく、σ(*_*)は香典を持って引き下がり、越後屋としばらく玄関で話しをしていた。

部屋へ帰っても話しが聞こえ、オバハンの所も介護してるらしい。

話しというよりも、オバハンの介護のグチを一方的に延々と話すのですねぇ。

早い話がオバハン一人に介護を押しつけられ、家族が協力してくれないというよなグチです。

その気持ち、わかるなぁ。

たとえ実の親であっても、避けたい逃げたい介護だもん。
ましてや血の繋がりも無い人の介護なんて、やりたくないのが本音だと思う。

以前に話題になった、「手紙」という歌がありましたねぇ。
介護される者から介護する者への「手紙」というやつが・・

この「手紙」の歌詞は、実の親からだったら、有る程度は、仕方がないと諦めがつくかもしれないが、このオバハンのような立場の人に「手紙」の内容を聞かされても、そんな事自分に関係無い事だと、むしろ腹が立つだけだと思う。

そして実際には、オバハンのような立場の人が、もんのすごく多いと思う。

子供手当よりも、介護の事を何とかして欲しい。

口先だけの慰めを聞き、身をもって助けてくれる人もなく、周りの人に理解もされず、人に知られる事も無く、今も陰で泣いてる人が沢山いると思う。
何を思ったのか、久々に水彩画をやってみようかなぁ・・と思い、画材店へ行ってみました。

そこらのホームセンターとか、文房具店にも絵の具や筆は置いてあるのですが、「不透明」絵の具だけです。

ちなみに水彩絵の具には「透明」と「不透明」の2種類が有りましてなぁ、知ってましたか?。

普通、学校でやるのは、たいてい「不透明」の方です。

で、σ(*_*)が描こうと思ってるのは水彩でも淡彩画と言って、淡い色で描く物です。

20年ほど前にも、少しやっていましたが、すっかり遠ざかっちまい。

で、画材店に行って絵の具の値段を見たら、ビックリこきましてなぁ。
12色絵の具で2000円近くし、20年ほど前は400円位だったでぇ。

筆なんかも、昔は80円か100数十円だったのが、300円位します。

合計4000円ほどの買い物でしたが、昔だったら1000円でお釣りが来ただろなぁ。

ちなみに1週間ほど前よりデッサンをやっており、ボチボチ色付けてみようかなぁ・・と思いましてなぁ。

遍路・巡礼して歩いてる時に、景色の良い所や休んでいる時にでも、サラサラ?と描いてみようかなぁと思っとります。

三日坊主にならにゃ、いいが・・・(^O^)
ジサマが寝たきりなった昨年3月で、「ゆうメイト」を辞めました。

でも、それ以降も職場で一緒だった人達が配達のため家の前を通った時、σ(*_*)が付近でボオッ~としているのを見かけると、わさわざバイクを止めて声を掛けてくれたり、少し話しをしたりして行きます。

なかでも同じ頃に職場に入った、親子ほどの年齢差が有る若い衆が一番したってくれ、早く配達が終わった帰りの時には、一番良く話ししに来てくれます。

ありがたいこってす。
職場に居た時と変わらず、声を掛けてくれて・・・

もしも嫌われていたら、無視されて、だれも声なんか掛けてくれなかっただろなぁ。

この地には知り合いが居ないもんだから、話し相手がいなく、σ(*_*)を見て話し掛けてくれるのは、この人達だけだ。

職場の人間的雰囲気も良く、楽しく過ごさせてもらい、郵政の上部・幹部に対する悪口も大っぴらに言って笑い合っていました。

今日も若い衆が来て、一応サボッてないように仕事の名目上として「年賀葉書の予約」の用紙を持って来た。

あらら・・郵政の幹部達は、まだこんな事やっとんのか。
全然、昔と変わっておりまへんなぁ。

しかも、あぁたぁ・・以前は10月頃からの予約だったのに、今はまだ8月の暑い盛りの真夏でっせぇ。

年賀状なんて郵政の独占みたいもんだから、予約もヘチマも無いと思うんだけれど、ムダな事するなぁ。

と、そんなモンクを垂れるσ(*_*)にでも、「ゆうメイト」の人達は12月末からの年賀状仕分けアルバイトを勧めてくれます。

ありがたいこってす。
ジサマが、あの世に逝ったら、またやらせてもらいます。
先日、ジサマが入院している病院へ行ってベンチに座っていると、車椅子を押したσ(*_*)より少し年上のトッツアンが来て横に座った。

車椅子には、そのトッツアンの妻なんだろおか・・ボケェ~と口開けて無表情。

それでもトッツアンは「今日は天気がいいからね」と話しかけている。
老々介護なんだろなぁ、何年間そんな状態かわからんが。

このトッツアンも自分の老後を、まさかバサマの介護をするとは思ってなかったろおなぁ。

たぶんトッツアンにしても、残された人生に対し、やりたい事等が一杯有ったと思う。

愛する妻を最後まで介護して・・なんて絵に描いたような甘いモンではなく、表面的にはともかく、きっと口には出せない、いろんな思いが有ると思う。

こおいうのを見ると、つくづく周囲の人に迷惑かける事なく、ポックリ逝きたいと思う。

以前に越後屋が「私が倒れたら、ジサマの吸飲や食事などを、お願いね」と言った。

今までだったら「ああ、いいよ」と、イヤだなぁと思いながらも言ったかもしれない。

でも、その時は、うかつにその場の雰囲気に呑まれて甘い返事をしたら、押しつけられる可能性が有ると思い

「正直言って、それは出来ん。
介護の手伝いはしてやるが、σ(*_*)はジサマの世話をしたくない。
もし、どうしても「やれ」と言うならば、たとえどんなに金がかかろうとも、σ(*_*)の個人的な金を使い、看護婦とか付き添い人を頼む。」
と、キッパリ断った。

越後屋としては、同じ家族だからやってくれると思っていたらしく以外な顔した。

ちなみにジサマは、越後屋の父親です。

σ(*_*)にも男としてのプライドが有り、実の親でもない人の下の世話だけは絶対にしたくない。

はい、σ(*_*)はイヤな事を避けて、自分勝手な事ばっかりする、冷たい人間です。

でも、側で聞いてた息子のヨメさんは
「そおですねぇ・・
 男の人に、やれと言うのは無理かもしれませんねぇ。」
と理解を示してくれた。

6月頃にテレビを買ったら、エコポイントで1万近く戻って来るというので「JCBギフトカード」にして申し込みました。

店でほとんど記入してくれ、自分の住所氏名を書く程度ですぐに送りました。

ネットで調べると、申し込みしたけれど送ってくるまで、ずいぶん日数がかかるらしいですねぇ。

こりは12月頃まで送ってこないかなぁ・・と思ってたら、先日送ってきました。

おお・・以外に早いじゃないか。

ヒョットしたら、手続きする所が忙しくて忘れられちまって、送られないかと心配してたでぇ。
飼っていた亀が、一週間ほど前に台風が来た頃から居なくなりました。

大きいタライに入れて外に出し、脱走しないように上に金網とか板きれを置いてたのですが・・・

北朝鮮に拉致されたのでしょうかねぇ。

 
最近は大部慣れて足音が近づいても首を引っ込めなくなったり、指先からエサを食べる所まで行ってたのにぃ。

家の中に居た時も、脱走に成功した事があります。
 「ゴトン」と音がして、そこを見ると・・

 グウ~ンと首を伸ばして

  ジタバタ・・・

 ヘッヘッヘッ・・元に戻れたでぇ(^O^)

あんまり・・と言うか、ほとんど芸らしい事は何もせず、脱走した時にひっくり返り、元に戻る事しか、こいつは芸が出来なかったなぁ。

そおそお一度外にタライをおいてた時に脱そうした事が有り、家の近辺を探し回ってアキラメかけた時に、裏庭を一回りして車道の所まで行ってたのを見つけた事が有った。

もお少しで車に轢かれる所だったでぇ。
亀は、脱走すると行動範囲が広いんですねぇ。

今回の脱走したタライを見ると、そこには・・

「旅に出ます。
 楽しかったです。
 探さないでください。」

の置き手紙が・・・有るワケないよねぇ。
コンビニで買い物して出ると、出口の方でσ(*_*)の前に買い物した先客がコンビニ横から出て来ました。

ふと見ると、黒衣の坊さんが居て、お布施していたよおです。

おぉぉ・・これは是非お話したいと思い、話しかけました。




聞けば、金沢の大乗寺(クリックしてね)から山形の叔父の寺へ行く途中だそうです。

姿形から曹洞宗だと思い、永平寺なら知ってたが大乗寺という寺は知らず、あまり大きい寺でないだろおと思ってましたが、ネットで調べると大きい歴史の有る寺なんですねぇ。

話してると先程の先客が再び戻って来て「自分も四国遍路していたのだ」と言います。

おぉぉ・・やっぱしなぁ。

この葬式仏教花盛りのご時世で、歩き旅の坊さんに「お布施」するような人は、四国遍路経験者だけかもしれん。

σ(*_*)が話していたからか、先客はすぐに帰ってしまった。




これからの行程を聞き、σ(*_*)が越後霊場を歩いた経験上の「道の駅」と、やはり歩道の有無を気にしており、新発田から北上する国道は歩道が有ったと教えた。

1日40kmほど歩くと言ってたが若さだなぁ。まだ20才代のよおだ。
寺では3年余り修行して、将来は山形県の叔父の寺を継ぐらしい。

聞けばσ(*_*)が泊まった「市振駅」で野宿したといい、荷物はリュックを持たず、本当に軽装でテントを持たず、サンヤ袋と雨合羽だけだった。

σ(*_*)のように銀マット・シュラフ等という軟弱な装備なんか持たず、さすが禅宗で修行される人は、違いまんなぁ。

こっちはヒマだから長話しても良いのだが、歩きの人は先を急いであんまり付きあっておれんだろおと思い、名刺を持って無かったので、後でσ(*_*)のホームページの名刺を持って追いかけると言って分かれた。

家に帰り、冷凍庫の中に凍った麦茶か水が無いか探したが無かった。

気は心と思い、孫用に置いてある凍ったジュースを取り上げ、お菓子をスーパーの袋に入れ、他に何かやる物はないか・・と思ったら、越後屋が「梅干し」と言ったので、それを6個ほど袋に入れた。

この「梅干し」がけっこう疲れが取れたり、汗で流れ出る塩分補給になる、優れモノなんですねぇ。




自転車で追いかけて渡すと「だい・・何とか、かんとかあぁぁ~・・」と大声で言いながら合掌して受け取った。

おぉぉ・・さすが禅宗・・四国遍路と言う事が違うなぁ。

お返しに、こちらも礼儀として合掌しながら「南無大師遍照金剛」を3度唱えた。

知らない人がこの光景を見たら、何やっとんじゃ?と思ったろおなぁ。

ただ、こんな事になるとは思わなかったので、自転車に乗ったまま、やったのがマズかったかもしれん。
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