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いやあぁぁ・・暑い日が続きますねぇ。

 

唐突ながら、実はこの屋根、井戸ポンプ用の屋根だったのですが不要になり、捨てるにしては、まだ綺麗なのでモッタイナク・・しかし、使い道も無くジャマにはなると言うシロモノでした。

庭の隅っこに転がっていたのを、いつか何かに利用してやろうと、苦節3年・・長かったなぁ。

越後屋と子供のヨメさんが、畑・庭に花やらキュウリとか植え付けて喜んでいるが、その肥料とか腐葉土があちこちに分散してました。

キュウリは、今年は豊作で毎日2本づつ食べても、消化しきれないほど出来ました。
そんな、どおでもええ事は、横に置いておき・・

猛暑の中、熱中症にもならず無事3日ほどかかって「園芸物置」を作成した苦闘の物語です。

 
先ずは屋根の内側寸法に合わせて、適当な深さにで四隅に穴を掘りました。



  ↑                 ↑                ↑
こんな金具を          こんな風に穴に入れ     鉄パイプを差し込み柱とします。


当然、適当な深さに掘り、場所も厳密に計らかったのでネジレでます。
(^O^)ワッハハッハ・・・思った通りじゃなぁ。

そこで一つの柱を基準として、高さと水平を取りました。

 屋根を載せて・・・ほれっ・・どおじゃあぁ!!

厳密では無いが、他の人から見たらバレない程度に、それなりの四角い形が出来たでぇ!(^^)!

 後はクランプの直角を信じて、棚を作りました。

 波板を貼り付けました。

斜めになっている木の板は、実はベニヤ製の簡易フスマです。
これも家の建て替え以来有るシロモノで、捨てるに捨てなかった物で、今回は下の方を少し切って扉に利用しました。

σ(*_*)って、けっこう廃物を利用するのが好きですねん。
なんせボンビーな家庭に育ったもんでして・・

 扉にも波板を取り付けて完成。!(^^)!

 どおじゃあぁ、マイッタか。
扉を開けるとフスマを利用したのが、よぉ~わかりまんなぁ。

ワッハハハッハハッハッハッ(高らかに)・・・(^O^)

鉄パイプは、以前購入していた予備を使ったりしましたが、材料費は約7000円ほどかなぁ。









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ウサギさんは、亀さんと競争して途中で昼寝しちまい、亀さんに負けました。

有名なお話ですねぇ。

で・・・ウサギさんは、どんな風にして昼寝したのでしょうか?

マンガでは手枕して、目をつむって「ZZzzzz・・・」と寝ている事とになっています。

ホンマにそうなのか?

 これがウサギの昼寝姿じゃぁ。!(^^)!

しかも、このウサギはメスで、人間に例えれば女子コーセイか20才前後の花も恥じらう、まだ汚れを知らぬ「乙女の寝姿」じゃぞう。
頼んでも絶対に見せてくれない、「乙女の寝姿」じゃぞおぉぉぉ。
どおじゃ、まいったか(^_^)v


ウソこけぇ、目が開いてるじゃねぇか。
それにしても、このクソ暑いのに毛皮をまとって、コロコロ太ってる乙女だこと。


いえ・・良く見てください。
目は半分白目むいてます。

そりゃあぁぁ・・白目むいて死んでるじゃねぇのか?。

σ(*_*)も最初見た時は、死んでるのかと思いましたが、ウサギは目を開いて寝るのですねぇ。

その証拠にデジカメのフラッシュが光った時

 
はっ・・私の寝姿を見られてしまった。
もうお嫁に行けない・・・
シクシク(/_;)・・・ワアッッ~~(T_T)


と泣きながら起きましたとさ。
暑い日が続きますねぇ。

二階の子供達が住んでる寝室が東側に窓が有り、日の出から午前中一杯、太陽が照りつけ、家を造った時からこの部屋は暑いだろなぁ・・と思ってました。

で、やっぱし暑いというので、「オーニング」を作ってやろうと思いましてなぁ。

 材料一式です。

簡易オーニング(180×180)   @798-
ロープ 20m           @970-
ディスプレイフック 10本入り   @125-
横受け止パック   @428×2個   856-
丸木材 32mm           738-
---------------------------
            計     3487-


 これが「横受け止パック」と「ディスプレイフック」

早い話がカーテン式でオーニングをつり下げようとしています。
この2つの材料が安価に手に入らなければ、外壁に木材を直接打ち付けて設置しなければアカンかと思ってました。

 最初に「横受止パック」を木材に設置。
中で出来る事は、早めにやっておかなくっちゃね。
手すりの端っこを押さえる金具です。

ちなみに木材・フック・止パックの全ては32mmの規格です。

 現状は、こんな感じです。
午後に撮影したので日陰になっていますが、午前中は直射日光がまともに当たっています。

 こんな風に取付ました。

外壁にネジや釘を打つ時は、下地に木材が有る所へ打ちます。
たいてい窓周囲のすぐ近くには下地の木が入ってます。

もし下地が無い所に打っちゃうと・・・ひょっとしたら抜けるかもしれまへんなぁ。

一応、グイグイと引っ張ってみても、グラグラしなかったので、大丈夫と思う・・たぶん・・

ちなみに下地に届くように75mmの長さのネジを打ち付けました。

 フックにオーニングを引っ掛けます。

 下端の穴にロープを通して、駐車場の柱に縛り付けて完成。!(^^)!

おおぉぉぉぉ・・・我ながらホレボレするような出来映えじゃねぇか
他人に聞かれたら「工賃込みで2万円でした」と言ってやろ。
                     (^_^)vワッハッハッハッ・・・

これで台風が来ても飛ばされなければ、ええんだが・・・

ちゃんとしたオーニングは数万円するよおですが、4000円でお釣りが来た。

窓から屋根に上がって作業が出来たから、この方式が出来たと思う。

              

中越沖地震から3年たちました。
年月が過ぎるのも早いですねえ。

あっ!!・・という間にトシとり、モウロクしちまうのかなぁ。
という、くだらん前置きはこれ位にして、そのイベントとして輸送艦「しもきた」が柏崎港に来ました。

沖に居た時は、その形状から小型空母かと思った。



20ミリ機関砲は前と後に2門しかなく、果たしてこれで敵飛行機を撃ち落とせるのか?
「チャフ」という、ミサイル攪乱装置は有るようだが・・・


旗流信号旗はA~Z、1~0、代表旗3旗が有り、それを組み合わせてマストに掲げます。



「ウイング」というのは船橋横の出っ張りで、入出港時や見張りする時に出ます。
「あたご」事故の時は、このウイングに人が居なかったらしい。





船橋内は、σ(*_*)の頃よりも、だいぶ近代化されてます。



ホーバクラフト



洗面所とトイレは併設されてます。


 さすが隊員の居住区は公開されていなかった




 どうじゃ、この庭石、300万円したんやでぇ。!(^^)!

と言うのはウソで、原価3000円です。(^O^)



実はσ(*_*)とこには金庫が有りましてなぁ。

札束とか金塊とか宝石でも入ってるならば良いんだが、せいぜい昔集めた切手が少しだけ・・という物しか入ってませんでした。

押入の中にデエ~ェンと居座っており、そのジャマになる事といったら・・(/_;)

古道具屋にタダで良いから持って行けといっても「いらない」と言われたシロモノです。

ネットで調べてみると、どこも金庫の引き取り手は無いよおで、専門の処分屋に頼まなければアカンよおですねぇ。
しかもその料金が重さによるが、この位で1万円以上・・

何とか処分したいが、金は払いたくないケチな性分なので、「ヨッシャアァァ!! セメントで固めて庭石にしてやろ」と思いましてなぁ。

ネットで調べると、やっぱりσ(*_*)と同じように不要品をセメントで固めて庭石を作った人が居ました。

金庫を息子と二人がかりで庭に引きずり出し、その周囲に金網を張り、中にこれまたジャマになっていた石ころを入れました。

 こんな風に庭石らしい形に整えます。

 そこへセメントをお椀に取って金網に塗り込めます。

しかし、金網と石の空間にセメントが入り込んだり、垂直の箇所はボトッと下に剥がれ落ちたりします。

これは、有る程度は最初から予想をしていたが、ちと予想以上だった。

なんせ適当に石ころ等を入れちまって、先を急いだからなぁ。

やっぱり隙間を埋めるような感じで不要物を入れた方が、セメント量が少なくすんだかもしれない。

 セメント20kg袋を5個使いました。

それでもまだ足りなく後ろの方は金網が見えます。

セメントに少し墨汁を入れました。
これは庭石を修理する時には墨汁を少し入れると本に書いてあったのです。

たぶん、セメントの白色に黒色を混ぜて、少しは石らしい色にするためだと思う。
ただ、ほんの少ししか入れなかったため、ほとんどセメント色の石になっちまったが・・

 セメント2袋を買い増しして来たので、今度は墨汁2本をブチ込めば、もっと黒色が出ると思う。

乞う御期待!!

失敗したら、笑ってください。

越後の国、そりはそりは山深い所(東蒲原郡阿賀町岩屋)に「平等寺」という薬師堂が有ります。

そこにはカワイソーな話しが伝わっておりましてのおぅ。

袖で涙を拭き、それと一緒に出た鼻水をぬぐい、袖を絞ればバッチイ鼻水と涙が滴り落ちる程カワイソーな話しです。

 平等寺 薬師堂

何がそんなにカワイソーかと言うと、この薬師堂内部には武運つたなく破れ去った落人が、この薬師堂に逃げ込み、その無念さを書き記した落書きが残ってるんですがなぁ。

うそこけぇ・・どうせ最近の頭の悪いジャリタレが書いて行ったもんだろ・・だいたいσ(*_*)の言う事は、いつもマユツバもんだと思ってる皆の衆、実はσ(*_*)も最初はそう思ってたんです。

 看板には、このように由緒が書いてあります。



堂内に入ってみると、柱とか板壁に墨で書いたらしいのが有ります。

手の届くような、すぐ身近に書いてあるので、ホンマにこれの事か?と思い境内の茶店で聞いてみましたら、やっぱりこれらしいです。

で、ホントは正面奥の仏さんの後ろに書いてある落書きが良いらしいんだが、頑丈な囲いがしてあり、そこへは行けません。

で・・囲いの外からデジカメで写したんだけれど、やっぱり遠すぎて写ってなかった。

茶店の人の説明では、討ち死にした人の名前を連盟して書いて有ったとか・・

すごいでんなぁ、関ヶ原以前の落書きでっせぇ。
σ(*_*)が落書きしたら、叱られるだろけれど・・・

 こんな落書きも有りました。

はたして、これは落人が書いた物か、最近のジャリタレが書いた物か判別できないが・・・

すぐ近くに「将軍杉」と言うのも有ります。

新発田市に有名な月岡温泉というのが有ります。

ちなみにσ(*_*)はまだ温泉には入った事が有りませんが、そこに「カリオンパーク」という公園の中に「カリオン文化館」というのが有ります。

その文化館へ行って来ました。
学が無い人間にので、ちょっとでもカシコクなろおと思って・・・

そこには「天田昭次」という人間国宝が作った刀が置いてあり、それを目当てに行ったのです。

 中はこんな風、あっ数百円の入場料はいります。

 鉄鉱石だったかな? 
ホンマに弱い磁力だったけれど磁石がくつっきました。
当たり前だけど驚き !(^^)!

 刀の製造工程 
一番右端の塊が「玉鋼」 輝いていて綺麗でしょう。
これは砂鉄を溶かして作ります。

それを棒の先端にくっつけ、良く写真や映像で出てくるトンカチ・トンカチと何度も打って鍛えます。

 右から左へ向かってが作業工程です。

最後の一番左端が「焼き入れ」した状態で、刀鍛冶はこの一瞬を一番大事にし精神を集中するそうです。

ここまでは係のトッツアンが親切に説明してくれ、σ(*_*)はズブのシロウトのフリしてましたが、実は他の刀鍛冶と親しくしていた事が有るので、その内容は知ってました。(^_-)

ただこの「焼き入れ」の時に初めて「反り」が出てくるのは知らなかった。

一番左のと、その右側のを比べてください、左の方が「反り」が大きくなっています。

でも、途中でσ(*_*)が刀の事を知ってると、何気ない一言でバレちゃって、居合をしていたと白状したけれどね。(^O^)

トッツアンは「いやぁ・・知ってる人に説明しちまったなぁ」と、笑いながら許してくれました。

 どや、スゲエじゃろおぅ。

 こっちは短刀。

 刃紋が、よぉ~出ていますねぇ。

 この形の刀を「小烏丸」と言います。
ミネの方が一部刃になっており、そこの箇所だけが両刃になって珍しい物で、古い刀を模写したものだそおです。

ちなみにこの刃紋のように「真っ直ぐ」な物を「直刃(すぐは)」と言います。
先程の刃紋は「乱れ」と言い、その形により名前が有りますが、だいたい感覚で付けてます。

この刀の展示等は休館日以外は常時やってるようで、ぜひ一度来館してください。



「俺たちの大和」に「死に方用意」というのが有りましたねぇ。

今生きてる自分も明日、事故や病気で死ぬか、あるいは後30年ほどボケながら寝たきり状態になっているか、わかりませんが、いつかはその時が来ます。

実両親が亡くなった時、その遺品整理の写真等がたいへんだった。

両親にとっては、大切な想い出の写真だったかもしれないが、子の世代になると、知らない人達が写ってる写真は言っちゃあ悪いがタダのゴミです。

σ(*_*)も後何年生きるかわからんが、子供達にそんな思いをさせたくないので、ヒマを見つけては写真整理をして、シュレッダーにかけて処分していますが、有るわ・・有るわ・・・。

見ればその時を想い出したりしますが、この先、何時見る事が有るか?

船に乗ってた時の写真や在職時の一部写真は、今となっては他の人達にも参考資料になると思い、これは何時の日かホームページに掲載してから処分しようと思い残してます。

まぁ・・それが掲載される時まで、ボケもせずに生きておればええが。

これがσ(*_*)の「死に方用意」で、ボチボチそんな年代に近づいて来たと思う。
新発田市内の見物の続き。

清水園という、それはそりは素晴らしい庭園が有ると聞いて行ってきました。



ウワサ通り立派な日本庭園でした。
はい、オシマイ・・じゃありまへんでぇ、まだ続きますがなぁ。

上の真ん中の家屋室内から庭を眺めたのが、この写真です。

 室内に入って庭を見たとき、思わず感嘆の声をあげた。
おぉぉ・・すげえぇぇ~!!

写真では、あんまり分からないかもしれませんが、大広間を経て見る庭は、もんのすごく奥行き・広大さを感じられました。

しかも・・この部屋の「床の間」には・・・

 良寛様の書が・・
どおじゃ、まいったか、頭が高い。 m(_ _)mははあぁぁぁ~

ダンナさん、何て書いてあるか読めまっか?
当然、σ(*_*)なんかは学の無い人間なので読めまへん。(^O^)デヘヘヘ・・

それに引き替え、近くに隣接されているのは

 質素な足軽長屋です。

夏なんか、暑苦しかったろおなぁ。

そして、付近に設置されてるのは

 家老(だったかな?)の家

こっちは、まだ涼し気な住宅です。

留守している時に越後霊場を巡っており、途中、新発田を通過しました。
 ここの櫓は自衛隊の敷地で入れませんが、他の櫓は内部へ入れます。
そして喜んでください、タダです。!(^^)!


この上の三カ所の櫓や門内には入れました。

 城内は新発田駐屯地になっており、古い建物も有ります。

はい、当然、駐屯地敷地内へは行けませんでした。

櫓に行く途中からズームアップで撮ったもので、これ以外の箇所や櫓の中からは、駐屯地内部は見えないようになってます。
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