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あっ・・「朱鷺」の事ではありまへん。
某仏教・啓蒙紙に記載された記事の題です。

「「おとき」は食事会ではない」という副題がついており、最近の若いモンは「おとき」の礼儀を知らん!!・・というお怒りというか、注意喚起されてるようです。

要約すると
「法事などの最後に「おとき」があるが、これは単なる食事会と考えてる人が多くなったように思う」

ええっっ~??・・そうなの??・・・
σ(*_*)単なるお食事会だと思ってた。

「「おとき」の最中に席を立ってお酌に回る人が少なくなってきた」
ん?・・酌をしに回らないのが気にいらんのかな?

「分別ある上座の親戚が気お使って、お酌して回るのが見かけるが、本当はそんな失礼な事を施主はさせてはいけない」
ふう~むぅ・・・σ(*_*)が上座に座る親戚の立場ならば、自ら酌なんかしに行かず、その前にそっと施主を呼んで「お前、アホらしいかもしれんが、ちっと坊主に頭下げて酌して来い」と言うと思う。
そおいう注意もせず、施主より先に酌する方がオカシイと思うがなぁ。

σ(*_*)がまだ若い青年になったばかりの頃、しかたなく義理人情で酌をしに行った事があるが、その時、順序なんかどうでも良いと思い、下座から上座に向かって酌したんです。

そしたら親戚の人が、そっと「こおいうモンは、上座から下座に向かってするもんだよ」と教えてくれ、そおいう事を教えてくれた親戚の人に今も感謝している。

しかしぃ・・・会食でも何でも、酌して回るのは好きでないなぁ。
そんなもん、勝手に手酌して酒飲んでおればええのにぃ。

前職の時も懇親会という名目で、仕方なく出席したが、当然エライ人の所へなんか酌しに行かず、同年輩の仲間達の方へ集まり、早く終わらないかと思ってた。

「断じて言う、この「おとき」はれっきとした仏事の一部であり、決して仏事が終わったからの会食だと思わないでほしい」

んな事を言われてもねぇ・・
そりゃあぁ坊さん方達は、そう思ってるかもしれんが、一般庶民はそんな風に思ってまへんでぇ。

単なる昔からやってる儀式で、仏事だとか酌だとかヤヤコシイ意義なんか考えず、できる事なればアッサリ簡単に、そして可能ならば省略したいと思ってるのが本音だと思う。

だいたいそんな風にエラソーに施主に文句を垂れるならば、それまでの間、あぁたは施主に対し日頃どのような仏教を教えてきたのかと、逆に是非伺いたい。

葬儀・法要の時だけ顔を合わせて、5分位ありきたりの説教するだけだったら、そりゃあぁ~単なる食事会だと一般庶民は思いますがなぁ。
それ以上の信心を持てという方が無理と違いますか? (^O^)

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無題
そうそう、だれも葬式不要と言いたいワケじゃなく、派手になってく儀式は不要だと思ってるんです。

σ(*_*)は実両親の葬式をしましたが、
「こんな葬儀をホンマに故人は望んでたのか?
枕元に座って故人を偲ぶヒマもなく、「おとき」の席割り等のクダラン事に頭を悩ますなんて、いったい、だれのための葬式か?」とつくづく思った。

2010/03/27(Sat)21:54:12 編集
無題
「葬式は、要らない」という本が売れてるらしいですね。(「らしい」というのは、、売れてると宣伝してるのが出版社だから)

http://dark.asablo.jp/blog/2010/02/11/4871681

そこで、「葬式は、要らない」で検索すると、いろんな書評が出てくる。坊さんの反論が多い。

坊さんの反論は「仏教ありき」だから参考にならない。いろんな書評を読み比べてみると、要はこの本は「日本の葬式は高すぎる。外国の10倍」「死後に戒名をつけるのは仏教国のなかでも日本ンだけ」などで、、、「金をかけるだけの贅沢な仏教葬式は要らない」と言っているのであって、葬式が要らないと言ってるわけでもないらしい。

いろんな解釈もあるだろうだけど、こういう本がミリオンセラーになってくれれば、「世間体」やら「葬祭の常識」なんてのも少しは変わってくるのかもしれない。
たあ 2010/03/26(Fri)23:02:44 編集
無題
線香はどおでもええが、香典だけはありがたく貰っておきたい。(^O^)

しかし、葬式後に五月雨式に来られると、たいへんでっせぇ。

そおいう事を考えるなら坊主抜きで、自分の思う通りにやって対外的にもケジメをつけた方が良いような気がしてます。
2010/03/20(Sat)21:25:41 編集
無題
葬式はやらんでも、、線香とか香典だけはありがたくいただけばいいんでないかい
たあ 2010/03/20(Sat)20:36:46 編集
無題
了解であります。というか
親戚はみな田舎に居て、近所にはおらんし、
退職後、職場のものとは交流が無いし、
近所付き合いも疎遠、ときたもんだ・・・
家内は若干の付き合いもあるので、それ関係
だけお願いしておきます。うっう
ヒマ 2010/03/20(Sat)13:03:36 編集
無題
ヒマとの

「葬式無用」でやっちゃうと、後日後から知った知人・親戚が家へ線香をあげに、ひっきりなしに来る・・という事があるらしいです。

それはそれで、また一々対応するのがメンドウらしいです。

もし、ホントにやるのならば、予め親戚・知人・近所に「ワイは葬式しませんので、線香あげとかは無用に願います」と今のうちに十分知らせておく方が良いでっせぇ。
2010/03/18(Thu)17:09:01 編集
無題
ヒマ家は当代より
「葬式無用、戒名不要」という家訓を決めました。世間体など、どこ吹く風で無視。
さすがに、お骨は処分に困るので、津軽海峡に散骨と決めました。費用がかかるなら、立待岬にこっそり捨てる、と言う手も考慮。
青森県にある菩提寺は住職が因業なので、放棄します。
さあこんなんで良いかな??

キリスト経には「天国泥棒」という言葉があるそうで、死ぬ直前に入信する人々をさすとか(笑)
ヒマ 2010/03/17(Wed)11:10:59 編集
無題
あぁ・・そおいう意味だったら、バンバンと放送して欲しいですねぇ。

特にオバハン向けの番組に・・(^O^)
2010/03/16(Tue)11:46:49 編集
無題
テレビで、「戒名なんた必要ない」とやれば、その「世間体」の概念もちっとは変わるんでないかと淡い期待をしてるんですけどね。

なんせ、納豆が健康にいいと30分番組でyるだけで、全国の納豆が品切れになるお国ですから、、。
たあ 2010/03/15(Mon)04:11:41 編集
無題
これはやっぱり「世間体」という嵐に耐えれるか・・に尽きると思います。

たとえ「無宗教の人達のための冠婚葬祭」「サルでもわかる無宗教の葬儀・法要」という本やテレビ番組が有っても、結局「世間の人と同じにしなくっちゃあぁ」という、横並び的日本人の島国コンジョが出ると思うなぁ。

その「世間体」さえ無視できるコンジョが有れば、本やテレビ教室に頼る事なく、自分の思うような葬儀・法要がいつでも出来ると思います。

戒名は、本来は生前に受戒されているのがホントであり、仏教徒になりましたよという証で、これは日本だけがやってるらしいですねぇ。

死んでから戒名を付けるのは、生前は仏教徒では無かったが、死んじまった時に遺族が付けてくれというので、死んでから仏教徒になったという事になります。

はいσ(*_*)も戒名なんて要りまへん。
仏教は素晴らしい教えだと思うが、今の仏教界に葬儀してくれと頼むつもりは無い。

あれだったら自分でカッコイイ適当なのを付けちゃいます。
「遍照尺八響居士」とか何とか・・・(^O^)
2010/03/14(Sun)17:11:43 編集
無題
無宗教の人のための葬祭入門、、、なんて本とか、テレビで教室をやってほしいなと思う。
無宗教だとイメージ悪いから、宗派を持たない人とか(同じかな)


まず、戒名なんつうものはやめてくれと言いたい。生前、仏門とかに全然縁のない人でも、死んだら戒名って、ちゃんちゃらおかしい。

そもそも、戒名を授かったら、それまでの俗名は捨てるというのが本来の姿。
それでも、戒名つけますか?。あたしゃ、いらない
たあ 2010/03/14(Sun)15:57:46 編集
無題
・たあさま

葬儀・法要の儀式なんて坊主達が金儲けになるようにしているのだと思います。

それに輪をかけたように、ダマされやすい一般庶民が「こんな事したらアカン」とか「こおいう風にせゃならん」と勝手に激しく妄想し、いつしか定着しちまい、それを他人に無理矢理押しつけ、迷信が迷信を呼んでドツボはまって、いらん気苦労する。

というのが現在の葬儀・法要だと思ってます。σ(*_*)

・ヒマとの

σ(*_*)も在職中は宴会なんか大嫌いでしたが、役職がらどうしても出席しなければアカン・・という事も多々ありました。
すまじきは宮仕え・・と言う言葉どおりで・・

だいたい宴会が大好きで積極的にやりたがるという人は、よっぽどのゴマスリだと思ってる。

大部分の人達は、本音は「宴会なんか、やりたくない」だと思います。

これが親しい仲間内で、上下関係の意識をほとんど感じなく、何の約束事も決めず、ちとそこらで・・と言う飲み会ならば好きでした。
2010/03/13(Sat)20:12:29 編集
無題
ん~ わたしゃ、宴会が嫌いでね。特に、お酌するのが嫌で嫌で・・・特にご返杯が。終わるまで、トイレ以外席を立たないことがあります。
親戚も遠くにいるので、個人的な宴会にはほとんど出たことが無い、という不調法な者です。
ま、自分が主催者なら、主賓にはサービスするでしょうが、上のような感覚なので、お酌がサービスだと思っていないので、出遅れるようです。
宴会で酒を要求するのは、ちと田舎くさい、というか、さびしい話ですなあ。
法事関係には、まったく知識がないので、パス。
ヒマ 2010/03/13(Sat)16:41:13 編集
無題
いろいろ調べてみたら、お斎(とき)と書くようですね。

さらにいろいろ調べてみると、お斎とは、本来は寺院での僧侶の食事のことだそうで、、、、

だから、法事のあとの食事のふるまいを、坊さん達が勝手に、お斎と言ってるんではないかと。

法事のあとに家主が食事をふるまうなんつうのは、法事のルールにあるわけでもなく、まあ世の中の常識としてのふるまいを勝手に「そういうもんだ」と行事化したんではないかな。

バレンタインデーとか、恵方とか、、、と同じように坊さん組合がうまく仕組んだ「定着した行事」・・・・私はそのように理解しました。
たあ 2010/03/11(Thu)23:06:55 編集
無題
読んだ限りでは、「一般庶民は「おとき」を仏事と考えておらんようだ。その証拠に施主が酌して回らん」というのが主旨のような気がします。

σ(*_*)もたあさまと同じように「お疲れさんでした、まぁ飯でも食ってくんなさい」という程度だと思ってたんです。

この紙面によれば「施主が感謝の言葉を述べて、坊主が「それでは頂きましょう」と言ってから食事をするので、これは立派な仏事だ」という事らしいです。

そおいえば思い出したが、だれかの葬儀の「おとき」の時、坊主の入場ががあんまりにも遅いので、回りの人と一緒にサッサッとσ(*_*)らが食い始めた事があったなぁ。

今思うときっと坊主は、それ見て内心、怒ってただろなぁ。(^O^)ケケケ・・・
でも、あの時は一応義理で、しかたなく坊主に酌してやった気がする。

この紙面では、下記の2つの主張を一つにしちまったので、σ(*_*)が「そりはおかしいんでねぇか」とモンク垂れたんですねぇ。

一、「おとき」とは仏事である。
一、会食でも何でも酒の席の時は、招待者が酌をするのが礼儀である。

どちらか一つだけにすれば、σ(*_*)もブログに取り上げなかったのにぃ。(^O^)

まぁ・・文章記事内容でσ(*_*)にケチ付けられるような事を書いてるような坊さんだから、あんまり大した説教や行動もしとらんやろなぁ。
2010/03/11(Thu)15:29:48 編集
無題
いや、、あの、、、、あたしも「おとき」を知らんから偉そうな事は言えまへんけど、「れっきとした仏事」だと、お酌をして回らないといけないという説教なんでしょうかねぇ、、、

ま、あたしなんかの感覚だと、施主が「本日は故人のためにご足労ありがとうござんした、、、どうぞお腹の足しにしてくんなまし」という程度のもんだと思ってた。

だいたいが、半分も顔を知らんのに誰に酌をすりゃいいのかわからんしぃ・・
たあさん 2010/03/10(Wed)21:49:59 編集
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