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急坂の山道を上る越後屋・・
「黒沢」集落 日陰で一休み
越後屋ちゃんは、「写すな」と言ってソッポ向いてます。
黒沢峠の敷石
埋もれていた敷石をボランティアの人達が掘り起こしたそうです。
キレイに敷石が出ており、掘り起こすのもタイヘンだったと思います。
それだけに見応えが有り、一見の価値は有ります。
頂上まではキレイに出てましたが
横川ダム方向は、枯葉が溜まり初めていました。
あんまり、その方面へは行かないからかもしれない。
横川ダム 不動出生橋
ダムの水位が下がった時だけ渡れる橋
十三峠越えの時に、横川ダムにより水没した「市野々」集落付近を
ダム湖水を迂回するのもタイヘンだなぁ・・と思ってました。
しかし6/16~9月末の期間だけダム水位が下がり渡れる事がわかりました。
この期間限定の橋を渡るために、
あえてこの時期に急いで旅行を計画し
期日よりも少し早めでしたが渡れました。
「市野々」集落跡(真ん中の三角形に見えるコンクリ道付近)
イザベラちゃんは、黒沢峠を越えて、この集落で泊まったそうです。

途中で一休み
最後に「宇津峠」をやる予定でしたが、予報で雨だったのでヤンピし帰りました。
しかし、疲れたなぁ・・トシを感じる。
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「黒沢」集落 日陰で一休み
越後屋ちゃんは、「写すな」と言ってソッポ向いてます。
黒沢峠の敷石
埋もれていた敷石をボランティアの人達が掘り起こしたそうです。
キレイに敷石が出ており、掘り起こすのもタイヘンだったと思います。
それだけに見応えが有り、一見の価値は有ります。
頂上まではキレイに出てましたが
横川ダム方向は、枯葉が溜まり初めていました。
あんまり、その方面へは行かないからかもしれない。
横川ダム 不動出生橋
ダムの水位が下がった時だけ渡れる橋
十三峠越えの時に、横川ダムにより水没した「市野々」集落付近を
ダム湖水を迂回するのもタイヘンだなぁ・・と思ってました。
しかし6/16~9月末の期間だけダム水位が下がり渡れる事がわかりました。
この期間限定の橋を渡るために、
あえてこの時期に急いで旅行を計画し
期日よりも少し早めでしたが渡れました。
「市野々」集落跡(真ん中の三角形に見えるコンクリ道付近)
イザベラちゃんは、黒沢峠を越えて、この集落で泊まったそうです。
途中で一休み
最後に「宇津峠」をやる予定でしたが、予報で雨だったのでヤンピし帰りました。
しかし、疲れたなぁ・・トシを感じる。
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無題
あっ・・パパさん。
遅くなって、すんまへん。
なんせこのブログに来る人なんて、ほとんど居なく、コメントなんか無いだろうと思い、見てませんでした。m(_ _)m
先日、図書館でイザベラさんの「日本奥地紀行」を借りて東北分だけサラッと読みました。
当時の日本人の風土・考え等が、よぉ~わかるようです。
ただ紀行文は、進んだ行程通りの順番に記載しているわけでなく、微妙に前後して記載されているようで、読んでて?と思った事も有りましたが、それは仕方ないでしょう。
確かにσ(*_*)達は、今のとこ足腰が丈夫だと思います。
今まで経験した霊場巡りでのキツサから言うと、今回のは中級クラスだったと思います。
歩いてる時の二人での会話は、ほとんど有りまへん。(^O^)ヘッヘッヘッ・・・
なんでか言うと、σ(*_*)が写真撮ってる間に、そんなのに付き合いきれんと言って、越後屋はトット先へ行っちまいます。
なので、ほとんどの写真は越後屋の後ろ姿が写ってます。
まぁ・・これはこれで、どんな状況かわかる写真が撮れて良いと思ってます。
休んでる時に、これからの行程予想をボソボソと話すていどです。
はい、その時には決して「愛しとる」なんて、口が裂けても絶対に言いまへん。(^O^)
遅くなって、すんまへん。
なんせこのブログに来る人なんて、ほとんど居なく、コメントなんか無いだろうと思い、見てませんでした。m(_ _)m
先日、図書館でイザベラさんの「日本奥地紀行」を借りて東北分だけサラッと読みました。
当時の日本人の風土・考え等が、よぉ~わかるようです。
ただ紀行文は、進んだ行程通りの順番に記載しているわけでなく、微妙に前後して記載されているようで、読んでて?と思った事も有りましたが、それは仕方ないでしょう。
確かにσ(*_*)達は、今のとこ足腰が丈夫だと思います。
今まで経験した霊場巡りでのキツサから言うと、今回のは中級クラスだったと思います。
歩いてる時の二人での会話は、ほとんど有りまへん。(^O^)ヘッヘッヘッ・・・
なんでか言うと、σ(*_*)が写真撮ってる間に、そんなのに付き合いきれんと言って、越後屋はトット先へ行っちまいます。
なので、ほとんどの写真は越後屋の後ろ姿が写ってます。
まぁ・・これはこれで、どんな状況かわかる写真が撮れて良いと思ってます。
休んでる時に、これからの行程予想をボソボソと話すていどです。
はい、その時には決して「愛しとる」なんて、口が裂けても絶対に言いまへん。(^O^)