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しばらく留守して会津へ行ってきました。
会津と言えば「喜多方ラーメン」(左端)
はい、「和豚トロチャーシューあぶり焼きらーめん@850-」という、いかにも、それらしいのを食べてみました。
いつも食ってるラーメンと違って、やっぱり美味かった。
やっぱし本場モンは違いますなぁ。
会津には、もう一つ隠れた名物があるらしく、それが「ソースカツ丼」で
す。(中央)
会津ではないですが帰る途中、新潟県栃尾の「道の駅」で食べた「油揚げ@300-」(右端)
普通の油揚げよりも大きく、火で炙って食べるのが名物らしい・・と聞いた。
会津三十三観音のお堂は、だいたいこんな感じのお堂が多いです。
場所的にも村内に有るお堂という風に、境内にはブランコが、たいてい有りました。そいでも、たまにこんな感じのお堂も有りましてなぁ。(左下観音)
雨の日が1日有り、その日は会津市内を観光しました。
白虎隊の「あぁぁ・・城が・・お城が燃えている・・」の言葉で有名な会津城です。
「武家屋敷」」の一景ですが、何してるかわかりまっか?
こりはですなぁ、官軍が会津に迫った時、家老の家族が「婦女子が戦の足手まといになったらアカン」といって幼子から殺して時世の句を詠んで家族全員が自刃したそうな。
薩摩軍(だったかな?)の将校が、この家老宅に入った時、家族全員が死に絶えている中、一人の娘だけが死にきれず苦しんでいたそうな。
娘は霞んだ目で将校に「敵か?、味方か?」と問いかけ、将校は憐れみをもち「味方である」と答えると、娘は苦しみの中で介錯を頼み、将校も涙を呑んで介錯したそうな。
カワイソーな話しでんなぁ。
普通の戦ならば勝った方が良いように言われるが、日本人気質の「判官贔屓」のためか、会津攻防戦では負けちまったが、その一生懸命さ潔さから、後世に「負けの美学」を教えてるような気がする。
20年ほど前に会津へ来た時には、「薩長憎し」という雰囲気がジンワリと伝わったが、時代が過ぎたせいか、今回施設見学をした時には、当時ほどの「憎し」という物は感じられなかった。
会津の金山町に「鮭立ちの磨崖仏」ちゅうのが有りましてなぁ。
江戸時代、天明の大飢饉の被害を見た修験道の人が岩に彫ったらしいです。
ちょうどその時、団体が見物し終わった所で、道端で木の枝を折ってました。
σ(*_*) 「何採ってまんねん?」
オバハン「山椒です」
見れば山椒の木が有り、まぁ味噌汁に葉を浮かべる位なら、ええかもしれんと思って黙って見過ごしました。
ところが、あぁたあぁ~・・
σ(*_*)らが磨崖仏を見物しとると、団体のオバハンが
「ちょっとおぉぉ、ちょっとおぉぉ~・・
あそこに雪椿が有るって、早くおいでよ。
●●さあぁ~ん・・ユ・キ・ツ・バ・キ・・・早く、早く・・」
と、オバハンの仲間を呼び止めて奥の方へ、オバハン達が行きました。
おいおい、まさか雪椿の枝も折って来るんじゃねえだろなぁ・・
そしたら、あぁたぁ~・・ボッキリ折った雪椿の枝を、堂々と持って来るじゃありまへんか。
普通常識の有る人だったら、そんなにゴッテリ枝を折って来るか?
遠慮しながら小枝をソッ~と手折る位なら、まだ奥ゆかしいさが有るんだけど、さすがもうトシを取っちまって恥も外聞も捨て去り、「ゴオツクババアァ」「オバタリアン」という別名が付くようになると、そんなカワイラシイ事なんかしないのですなぁ。
団体に「先生」と呼ばれている人が居たから、俳句か謡曲とか詩吟とかの集まりだろうけれど・・・
おい、先生!!・・・どんなエライ先生で何を教えているのかわからんが、弟子の行為に注意しねえのか。
先生と呼ばれる立場での団体行動ならば、弟子のした事に責任が有ると思う。
全く、どんな指導しとるんじゃ。
ちゃんと入口の看板に「草木の採取等を禁じます」と書いてあるでねぇか。
あんまり腹が立ったので写真を撮ってやった。
はい、これが現行犯の写真です。
会津と言えば「喜多方ラーメン」(左端)
はい、「和豚トロチャーシューあぶり焼きらーめん@850-」という、いかにも、それらしいのを食べてみました。
いつも食ってるラーメンと違って、やっぱり美味かった。
やっぱし本場モンは違いますなぁ。
会津には、もう一つ隠れた名物があるらしく、それが「ソースカツ丼」で
す。(中央)
会津ではないですが帰る途中、新潟県栃尾の「道の駅」で食べた「油揚げ@300-」(右端)
普通の油揚げよりも大きく、火で炙って食べるのが名物らしい・・と聞いた。
会津三十三観音のお堂は、だいたいこんな感じのお堂が多いです。
場所的にも村内に有るお堂という風に、境内にはブランコが、たいてい有りました。そいでも、たまにこんな感じのお堂も有りましてなぁ。(左下観音)
雨の日が1日有り、その日は会津市内を観光しました。
白虎隊の「あぁぁ・・城が・・お城が燃えている・・」の言葉で有名な会津城です。
「武家屋敷」」の一景ですが、何してるかわかりまっか?
こりはですなぁ、官軍が会津に迫った時、家老の家族が「婦女子が戦の足手まといになったらアカン」といって幼子から殺して時世の句を詠んで家族全員が自刃したそうな。
薩摩軍(だったかな?)の将校が、この家老宅に入った時、家族全員が死に絶えている中、一人の娘だけが死にきれず苦しんでいたそうな。
娘は霞んだ目で将校に「敵か?、味方か?」と問いかけ、将校は憐れみをもち「味方である」と答えると、娘は苦しみの中で介錯を頼み、将校も涙を呑んで介錯したそうな。
カワイソーな話しでんなぁ。
普通の戦ならば勝った方が良いように言われるが、日本人気質の「判官贔屓」のためか、会津攻防戦では負けちまったが、その一生懸命さ潔さから、後世に「負けの美学」を教えてるような気がする。
20年ほど前に会津へ来た時には、「薩長憎し」という雰囲気がジンワリと伝わったが、時代が過ぎたせいか、今回施設見学をした時には、当時ほどの「憎し」という物は感じられなかった。
会津の金山町に「鮭立ちの磨崖仏」ちゅうのが有りましてなぁ。
江戸時代、天明の大飢饉の被害を見た修験道の人が岩に彫ったらしいです。
ちょうどその時、団体が見物し終わった所で、道端で木の枝を折ってました。
σ(*_*) 「何採ってまんねん?」
オバハン「山椒です」
見れば山椒の木が有り、まぁ味噌汁に葉を浮かべる位なら、ええかもしれんと思って黙って見過ごしました。
ところが、あぁたあぁ~・・
σ(*_*)らが磨崖仏を見物しとると、団体のオバハンが
「ちょっとおぉぉ、ちょっとおぉぉ~・・
あそこに雪椿が有るって、早くおいでよ。
●●さあぁ~ん・・ユ・キ・ツ・バ・キ・・・早く、早く・・」
と、オバハンの仲間を呼び止めて奥の方へ、オバハン達が行きました。
おいおい、まさか雪椿の枝も折って来るんじゃねえだろなぁ・・
そしたら、あぁたぁ~・・ボッキリ折った雪椿の枝を、堂々と持って来るじゃありまへんか。
普通常識の有る人だったら、そんなにゴッテリ枝を折って来るか?
遠慮しながら小枝をソッ~と手折る位なら、まだ奥ゆかしいさが有るんだけど、さすがもうトシを取っちまって恥も外聞も捨て去り、「ゴオツクババアァ」「オバタリアン」という別名が付くようになると、そんなカワイラシイ事なんかしないのですなぁ。
団体に「先生」と呼ばれている人が居たから、俳句か謡曲とか詩吟とかの集まりだろうけれど・・・
おい、先生!!・・・どんなエライ先生で何を教えているのかわからんが、弟子の行為に注意しねえのか。
先生と呼ばれる立場での団体行動ならば、弟子のした事に責任が有ると思う。
全く、どんな指導しとるんじゃ。
ちゃんと入口の看板に「草木の採取等を禁じます」と書いてあるでねぇか。
あんまり腹が立ったので写真を撮ってやった。
はい、これが現行犯の写真です。
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