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σ(*_*)とこの局では、1週間に2・3回?「コンプライアンス」とかいうミーティングをやる事になっており、その都度その時の件名とだれが指導したかを個別のファイルに各自が記入する事になっとります。

なっとります・・ちゅうのは建前で、やった事にしてその時の件名を後でまとめて書いてゴマかしておるんです。

なんせ朝は郵便の仕分けやら道順に組立るのに忙しく1分でも早く終えて出発したいのに、そんなカタカナの事なんか、どおでもええですわなぁ。

それが何を血迷ったか、先日、支店のエライ課長が来ましてなぁ・・
そのカタカナのわけのわからん事を言い始めたと思いなせぇ。

早よぉ~終わらんかなぁ・・と思って聞いてるフリして、やっと終わったので、σ(*_*)がサッサッと自分のファイルを棚に戻したと思いなせぇ。

そしたら、あたりの雰囲気が何か異様で、他の人達はそのまま身動きもせず、ファイルを抱えたままボォ~ッと立ちつくしσ(*_*)の行動を見ているんですがなぁ。

はれ?・・皆、どおしたの?・・そんなカカシみたいに突っ立って?・・
もう終わったんだから、トットと道順の組立作業すりゃぁええのにぃ。

そこで課長の顔を見てハタと気づきました。

まだ終わってなく、こりから課長のアリガタア~イ訓辞ちゅうか、注意事項が有ったんですなぁ。

なんせ今まで、そんな事を正規にした事が無かったもんだから・・・

思わず「あらっ!!・・まだあったのね。」とハッキリ言っちゃった。(^O^)ダハハハ・・・

仕方なく席に戻って、やっぱり早よぉ~終わらねぇかなぁ・・というマジメな顔して聞いてるフリしました。

で、やっと課長が「以上、終わりです」と言ったとたんに席に座り、「何か他に有りませんか?」という言葉を後ろで続けて言ってましたが、当然こっちは忙しいんじゃ・・という雰囲気を丸出しにして道順を作り始めました。

はい、別にオトガメは有りまへんでした。(^O^) ケケケ・・・
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σ(*_*)正直言いまして、伊豆半島に短い期間住んでた事はあっても、西伊豆方面は行った事がありまへんでした。

観光方面でも、あんまり西伊豆方面は有名でないようでんなぁ。

で、行ってみると・・・こりは、有名でないのも、仕方なかんべぇかなぁ・・と思ったのが、正直な気持ちです。スンマヘン。

伊豆半島と言えば「南国」「海岸美」というイメージがありますが、車で通る道が山の中を通ったりして、そんなに海岸が見れる場所ではないんですなぁ・・・わけても雨が降っていたもんで・・

そいでも通り道なので松崎町の駐車場に車を置き、近くの土産物店へ入りました。

観光客もいなくσ(*_*)らだけなので、あんまり入りたくなかったんだけれど、せっかく来たんだから、何か面白いモンでもないかなあぁ~と思って・・・

そしたら、やっぱし待ちかまえていた店のオバハンが「茶をどうぞ」と言って湯飲みを差し出すんですわ。

いや、そりはええんですよ、茶くらいは・・
その後なんだよねぇ・・・
土産物を見ている時に付いて来て、聞きもしねぇのに説明するんですよ。(T_T)

ホットイて欲しいんだけどなぁ。
土産物店に入り、何がイヤかと言えば、こおいう付いて来て説明されるのがイヤなんだけどなあ・・ウットオシイ。

店の人は親切心でやってるのは、よぉ~わかるが・・

σ(*_*)は前職の時にイベント実施した時に、テント内にパンフレットを置き、その前でガンバッテ、声を掛けたりして居た事がありました。

でも、そおいう所へは客が近寄らないんですよねぇ。
しばらくして、それに気づき、同僚に「テント内から出て少し離れた所で番をしていろ」と言いつけ、テント内を無人したら、客は勝手にパンフレットを持って行ってくれるんです。

「小さな親切、余計なお世話」という事ですなぁ。
イベントやってる人は、この人間心理を参考にしてくんなせぇ。
前に座って声を掛ければええというモンでは有りまへんでぇ。(^O^)

それはさておき、この町は鏝絵ちゅうのが名物らしいです。

どうせ大した事無いじゃろう・・それでも、せっかくここまで来たんじゃから話の種に見て行くか、たぶん生きて再びこの地を訪れる事もないだろうし・・と思いましてなぁ。

川向こうの中瀬邸という所へ行ってみました。

  明治時代のような時計台がありましてなぁ。
説明書きを読むと13時の文字盤が有ると書いてあり、改めて見るとホンマに有りました。

 時計台の後ろが中瀬邸ですねん。

   竜虎の鏝絵で、これを見た時、正直スゲエェ~と思った。

デジカメが安物だから、あんまり鮮明でないかもしれまへんが、龍のウロコやヒゲが1枚1枚丁寧に作ってあるんですなぁ。

σ(*_*)らシロウトが作ると、たいてい適当にゴマカシて、わかりやすく言えば「模様」のようになっちまうんですが、さすがプロ・・細かい所まで細工してあります。

この龍の鏝絵が気に入り、途中にあった「長八記念館」へも行ってみました。


途中にナマコ塀通りというのも有ったが、その一角だけだった。

「その記念館に入ってみると内部は寺でしてなぁ。
団体客に説明している途中で、それを聞き終わると、別の女の人がσ(*_*)らだけのためにもう一回最初から説明してくれました。

残念ながら室内は撮影禁止でしたが、ここもえかった。

先ほどの龍と同様、額に入った鏝絵の細部が良く見えるように虫眼鏡まで用意してありましてなぁ。

そいで天井には、これまたでっかい龍の絵が書いてあります。

「八方睨みの龍(クリックしてね)」といいましてなぁ、説明の人が「西側へ行って見ろ」とか、「東側へ行って見ろ」とか言いまして、言われるままσ(*_*)らが室内をウロつき、その度に室内の電気を点けたり消したりしてくれるんです。

そしたら、あぁたぁ~・・・
ああらあぁ~不思議・・・
龍の目が睨んだり、無表情になったり、見る位置によって龍の表情が違うんですがなぁ。

それをσ(*_*)らが口を開けて感嘆の声を上げながら説明を聞いてました。大したモンだわ。

その後、外の玄関側へ行き、そこの彫刻の説明をしてくれます。

 

σ(*_*)があんまりにも感嘆の声を上げるモンだから、説明の人がウレシかったのか、「オトウサン、この波の所に亀が二匹居るのみえますか?」と言ってくれたので「それ見つけると、幸せになれるとかの伝説が有るんでっか?」と喜んで逆質問しちまった。

なんせ龍の絵が、あんまりにも素晴らしかったもんで・・そんな言い伝えが有っても、おかしくないと思いましてなぁ。

西伊豆へ行く機会があれば、是非訪ねてみてくんなせぇ。
冥土の土産話として一見の価値は有ると思います。

 堂ケ島










 これまた久しぶりに石廊崎灯台へ行ってきました。

昔は人が住んでいたんでけど、今は無人化されています。

 下田方向を望む

灯台横の小道を行くと石廊崎神社へいきます。

その階段付近で最初に目に付く、猫のような岩・・これが祠になっていて、ご利益が有るような感じです。

 その猫のような岩の所から見た、石廊崎神社。

岩壁にへばり付くような感じの小屋です。

 しかし、小屋の中はこんな風になっています。

右手前ベンチ向こう付近、床がガラスになってます。
ガラスに載ったら割れて下へ落ち・・ないと思う、強化ガラスなので。



ガラスの下に何が有るか見てみると・・何も有りまへん。
ただ太い柱の棟が1本見えるだけです。

ゴルラアァ・・何も面白いもんが見えねぇじゃねぇか。
下の海岸の岩に白波が砕けてるのでも見れるかと思ったのにぃ。

しかし、皆の衆、落ち着け・・
あっ・・コラッ・・まだ帰るんじゃねぇ。

この太い柱には、涙無くしては語れない、そりはそりはカワイソーな深い言い伝えがありましてのおぅ。

むかあしぃ・・この沖を通った船が嵐に遭いましてのおぅ。
船頭さんが、こらエライこっちゃ・・と、普段は信心も無いクセに、この時ばかりは、天照大神を始め、お釈迦さん、キリスト・・と思い出す限りの何とか助けてくれそうな人に「助けてちょんまげ」と祈りました。

そんな、あぁたぁ~・・普段は信心もしてねぇのに、自分の都合の悪い時ばっかり「助けてくれ」ちゅうて泣いて頼んでもアカンですわなぁ。(^O^) ワッハッハッハッ・・・

そこで船頭さんが「もし助けてくれたら、ここに神社作るから・・」と交換条件を持ち出しました。

神さんも、それならば良かろう・・と思ったのかどうかわかりまへんが、ピタッと嵐が止み無事に江戸へ行って商いをする事ができましたとさ。メデタシメデタシ・・・

船頭さんは帰りの航海は目出度節でも歌いながら、この沖を通ったのでしょう。

その瞬間、今まで平穏だった海が荒れ狂い始めました。

船頭さんは、再び神さんやら仏さんやら、ややこしい邪宗教の神々に、自分に都合の良い事を勝手に祈ってた時、ハタと思いだしました。

そお言えば、ここで嵐に遭った時に神社建てると約束しとったなぁ。
チエッ・・まだ覚えてたんかぁ・・・
忘れてくれたら良かったのにぃ・・

と思ったかどうかわかりまへんが、とにかくその時の事を思い出したので、船の命という帆柱を切り倒し「すんまへん」と言いました。

帆柱は荒波に揉まれ、大波とともに、打ち上げられた場所が、このガラスから見える帆柱だそうです。

という事が書いて有る説明書を読んで、はじめてわかりました。
その説明書きが無いと、なんでこんな所がガラスになってるか、わからんでしょうなぁ。

 まぁ、確かにこの場所に神社を造るのはたいへんだったでしょうなぁ。

断崖絶壁の所だから陸地の方から山を越えて資材を持って来なければならんので、この帆柱も大波で打ち上げられん限り、山をエッサエッサと運んで来たんでしょうねぇ。









下田から石廊崎へは、たいていの人は、そのまま国道136号を行っちゃうと思います。

でも、その国道からはずれた場所に良い景色の場所が有るんですねぇ。

国道の途中から「吉左美海岸」へ行きますねん。

 すると、ほおぉ~ら、こんな海岸に出ます。

この写真は海岸の右側を写してますが、左側には白い大きな砂浜が広がっており、逆光なので撮りまへんでした。

サーフィンの人達が、たくさん来ていたので、その世界の人たちの間ではこの浜は有名なのかもしれまへんなぁ。

 吉左美海岸の一部ですねん。

海流のためかゴミも落ちてなく、キレイな海岸でした。

海岸に沿って行くと「サウンドスキー場」があります。

写真の左側斜面に砂が崩れてるように見えますが、そこでスキーをやるのでしょうが、だれも居まへんでした。

 
「竜宮窟(だったかな?)」という看板があったので、洞窟状の中を階段を降りてみると、こんな場面に出くわします。

はい、そこから海に入り岩の間を抜けると、そこにはキレイなネーチャン達が乙姫様の使いとして待っており、「いらっしゃいませぇ~」とピチピチした声をそろえて言って・・くれるはずがありまへん。

宮殿掃除担当のバアヤ(越後屋)が後ろからノコノコ付いて来て、「まってぇ~・・」とシワガレ声で言うだけでした。

残念ながら海岸沿いに、そのまま「弓ケ浜」へは車で行けまへん。
「田牛」という所から、細い道を山越えして「日野」という所へ出ますが、この道は入り口が複雑だから、わかりにくいじゃろなぁ。

初めての人は素直に「吉左美」まで戻った方がええかもしれまへん。

まぁ、海岸沿いに「弓ケ浜」まで車で行けないからこそ、あんまり人に知られていない隠れた景勝の地なんでしょうねぇ。

 「弓ケ浜海岸」ですねん。

写真右奥に白い建物が有る所から、車で岬を越える事ができます。
でえじょうぶ、車で3分くらいですねん。
ガソリンスタンドも無い位の距離です。

 「逢ケ浜海岸」ですねん。

穴の空いてる岩が「エビ岩」というらしい。
車はここで行き止まり、前記の「田牛」までは歩いてならば行けるようです。

 同じく「逢ケ浜海岸」で、左が「姑岩」右の二つ岩が「雀岩」

なんで「嫁岩」が無いんでしょう。
きっとヨメがバサマをイジメたので、バサマが泣く泣く岩になったのかもしれまへん。
カワイソーでんなぁ、将来のアァタぁの姿でっせぇ。(^O^)

どや・・だれかと逢い引きするには、ええ感じの海岸でっしゃろ。(^O^)
越後屋と逢い引きしても、ちっとも面白くもねぇが・・

この日は、この「弓ケ浜」の駐車場で車野宿しました。

夜、寝つけれなかったので海岸を散歩すると、御子元島灯台の光が回転してました。
 下田港内

この写真だけを見ると昔と変わりまへんなぁ。



昔、船が付けていた岸壁は、すっかり様子が違っていました。

僚船が入港した時に、皆して「モヤイ取り」をした岸壁はこんなに狭かったのか?
何となく、岸壁部分だけを増設したような気がする。

当時「東海汽船」の切符販売をしていた売店跡地は、小さい公園と駐車場と変わり、野良猫が2匹不審者を見る目でみていました。シッシッ・・・

σ(*_*)が乗ってた船は、写真に写ってる船の約2倍位の大きさが有り、当時「げんかい」「しきね」「すみだ」の3隻いました。

今この船名で活躍している船は2代目で、おそらく当時の船は現存していないでしょう。

 犬走島の防波堤

この写真風景は当時と変わりまへんなぁ。
なんとなく願壁がボロになってるのと、こんなに狭かったか?と思う位です。

 ペリー上陸記念碑

当時は、もっと港近くにポツンと胸像と錨だけが有ったのですが、来て見たら市内側に移設されて小さい公園化されてました。

確かこの辺は下田ドッグが有って小汚かったと想ったけれど、ツブレタんかな?






下田市内をホッツキ歩いてみました。

写真の柳と川の有る付近のここだけは面影があり、当時はこの付近に飲み屋やらバーが一杯有って、よぉこの付近に来たのだけれど、当時の店は全然無く、店は普通の家になっちまった感じです。

 

給料を注ぎ込んだ店も普通の民家になっちまったようで、道筋を歩いてこの付近・・だったが・・・

場所さえも想い出せなく、たぶんこの家だったのでは?・・と思う家はあった。(写真の家とは違います)

しかし見事な位、なあぁ~も想い出せない。(T_T)
当時歩いたはずであろう裏通りやらメイン通りをウロついても、サッパリ思い出せなく、懐かしさが感じられない。

別に付近が新しく変わったというわけでは無く、古い家々が残ってるのだけれども、こんな所有った?・・ちゅうような感じで・・

トシでんなぁ・・・ボケ始めましたかいのおぅ・・・
アルツハイマ-とか言う、ハイカラな病に掛かり始めたのでしょうか。

 港内観光船と犬走島

当時、一緒に船に乗っていた上司のほとんどの人達は、もう一線を引かれ、あるいは既に鬼籍に入った人達も居ます(ええ人達だった)。

30数年(もうすぐ40年)ぶりに、青春の一時を過ごした地に来て、そんな事を思い出しながら「道の駅」で車野宿しました。

これでもう下田に関しては、思い残す事はありまへん。

しっかしぃ・・・ホンマに見事な位、町中は思い出せんかった。
           (老人の繰り言(^O^))

σ(*_*)が昔、美少年の頃、船に乗っていた時、この爪木崎灯台でいつもかかる号令がありました。




船が下田港を出航した時は、だいたいこの辺で「出航用意、もとえ(当直以外は解散してええという意味)、本船これより〇〇に向かう」と、これからの行動が船内放送されました。

また入港する時は、この爪木崎灯台が真横に見えた頃に「入港用意30分前」の号令が掛かり、それぞれの配置に着きます。

久々に30数年ぶりに爪木崎へ行ってみました。

下田の御用邸脇の道は、昔は薄暗くホコリっぽい砂利道だったのが、きれいに舗装されています・・・そうでっしゃろなぁ。

爪木崎の駐車場から灯台の有る丘を見ると、やっぱし昔と違います。

今はキレイに水仙なんぞ植えてあり、写真のように灯台近辺の散策路に木が生えてますがますが、昔は砂利浜で丘は草地、目立った木なんか生えてかったような気がする。

まぁ、たまに水仙が自生しとったように思いますが・・・

一口で言えば、サミシイ丘に灯台が建ってる・・という感じだったと思う。

灯台への小道も舗装してなくでこぼこの地道だつたが、今はかっかり整備されちゃって・・



確か「エリカの花咲く丘」という小さい石碑が丘のどこかに有ったと思い、探しましたが見つけれませんでした。
σ(*_*)の勘違いだったかな?


 青い海を 見つめて 伊豆の山かげに エリカの花は 咲くという


 悲しい恋に 泣きながら 夕日を今日も 見送った 

     (T_T) クスン・・・シクシク・・・ワアァ~ン・・・
隠しきれない 5000円札
裏側に染みついた 逆さ富士(逆さ富士は写らなかったが)
 本栖湖

5000円札の裏側の写真と比較してね。
ちなみに帰りに富士山五合目まで車で上りましたが、霧で何も見えなかった。


 浄蓮の滝

舞い上がり 揺れ墜ちる
肩の向こうで
越後屋が「わさびアイスクリーム」を食べる

何があっても よくない。
越後屋と越えちまった 天城越え


口を開けば 別れると
言ってみたい 一度だけでも

 走り水 迷い恋 風の群れ 

  天城隧道

くらくら燃える 地を這って(天城越えの道は、こんな道です)

越後屋と越えちまった 天城越え


 
田母神さんの証人喚問はテレビ中継されまへんでしたねぇ。

テレビのワイドショーでは、盛んに田母神さんの悪口を言ってるのに、何でいつものように、知る権利として中継さないのはオカシイとワメかなかったんじゃろ?

で、世間の目からそらさせようとしている、証人喚問の全内容(クリックしてね)をここにサラシちゃうもんね。

それにしても田母神さんは、信念を曲げずにエライと思う。

質問した議員や答弁に立った議員さんは、田母神さんほどのコンジョが有るんじゃろか?

田母神さんの主張が善し悪しは別としても、それがバラまかれて世間の知る事になり、最終的には田母神さんの一人勝ちのような気がする。

おお~ぃ、議員さんやマスゴミィ~・・・
もっと盛んに叫びワメイて、世論を盛り上げろぉ。
まだ燃え方が足りんぞぉ~。 (^O^)

田母神空幕長の論文がマスコミや野党に取り上げられて袋たたきにあってますなぁ。

自衛隊に所属していなく、それ以外の人が書いた論文だったら、批判は起きなかったのだろうか?

サラッと読んでみたが、別に間違った事は書いてないと思う。
今まで、これだけ正直に書いた人はいないのではないじゃろか?

ネットが今ほど普及してない時だったら、マスコミにダマされとったかもしれんが、調べれば今は何が正しいかわかる時代になってきた。

こんな事を書くと、「右翼」とか「戦争賛美」とかのレッテルを貼られ(一昔前は確実にレッテルを貼られた)、ここも炎上するかな?(^O^)

今回はだれが、どのように批判しているか十分に見させてもらい、今後の参考にします。

田母神さん、よぉ~書いた。エライ!!
寒~ぅなりましたなぁ。
その寒い朝、郵便配達のバイクで出発したと思いなせぇ。

出発してすぐに、歩道を見ると小汚い作務衣を着て頭にターバン巻いたジサマが竹馬に乗ってトコトコ歩いてました。

はっ?・・ナンジャ、あれは?・・・
竹馬でなく、笠をかぶって杖を持って歩いていれば、そのままσ(*_*)の姿じゃねぇか。(^O^)ダハハハ・・・

しかしσ(*_*)も、こんな風に奇異な目で見られていたんかなぁ・・(T_T)

バイクで一瞬のうちにすれ違った時に、ハタと思い当たりました。
確か先日の新聞に、この人のことが載っていたと・・・
     ↓
http://www.niigata-nippo.co.jp/pref/index.asp?cateNo=1&newsNo=114213

竹馬で「奥の細道」を歩いてるそうな・・・

後ろには奥さんと思われるオバハンが、小さいリュックを背負って付いて歩いてました。

芭蕉が歩いた旧北陸道は、この道ではなく海岸端の国道352号線なんだが・・中越沖地震で椎谷岬が不通だから、この道を選んだのかな?

この先、旧道を行くならば、米山山麓の青海川の坂道は、ドエライでっせぇ・・歩くのもヒーコラいいながら歩いた急坂だったしい。

今回は直江津までらしいが、その先の「親不知」は車がビュンビュン通り、歩道も無い所だからコケたら車に轢かれちゃうような危ない箇所でっさかいなぁ。

70才過ぎて、このような事に挑戦している人もいるんですなぁ。

σ(*_*)も越後霊場の続きをやりたいのだが、寒くて野宿もキツそうな季節になったので、コンジョ無しの軟弱な精神がフツフツと沸いてくる、秋の今日この頃・・・

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