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朝、庭先に居たら、車が止まり中からお母さんが出てきて、話しかけてきました。

「隣の家はだれか住んでるのでしょうか?
 空き家を探してるんです。」


隣の敷地はあんまり手入れしてなく草が茂ってるので、ちょっと見た目には空き家と思うかもしれん。

車のナンバーを見ると「いわき」ナンバーです。

「隣は、息子さんが住んでいて、奥にお母さんが住んでるのです。」<と答えると

「あぁ・・そおですか・・子供が居るので学校近くで空き家がないか探してるのです。
この付近に空き家は無いでしょうか?」

しばし考えても思い当たりません。

近くの草地を示し「あそこならば、以前一人暮らしの人が住んでおり、家を壊して、親戚の人が、たまに草刈りしてましたけれど・・」

「そおですか・・でも家を建てなければなりませんからねぇ。
やっぱり不動産屋に頼むしかないでしょうかねぇ。」


「そおですねぇ・・この付近には空き家は無いと思います。」
「がんばって下さい」という言葉は言えず、「たいへんですねえ。」と言うしかありません。

東電関係者の方が、もしこれを見ていたら、「給料をゼロにしろ」とまでは言わないが、あんた方はボーナス・役職手当が出て、ほんのチョッピリ生活のレベルを落としただけの普通の生活をできるかもしれん。

しかし被災者の人達は、住む家も無く、このように苦労している現状を見て、東電の人達は心が痛まないのだろおか?

通常の常識ならば、ボーナス・役職手当は「ゼロ」にして誠意を見せる所だと思う。
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今、もんのすごく東電が叩かれていると思います。
それこそ極悪・非道の代名詞のごとく。

σ(*_*)とこは刈羽原発の炉心から2kmしか離れていなく、福島原発事故は、とても他人事と思えない。

この地に住む事になったのは、自ら望んで・・というわけでなく、
惰性というか、成り行きというか、仕方なくというか・・
そんな風になっちまったので、と言うか・・・

そんなワケで、σ(*_*)は昔からこの地に住んでいた出身者では無く、いわゆるヨソモンです。

来た当初は、確かに原発の不安も有りましたが、住み続けていると、こんなモノか・・と余り意識しなくなりました。

確かに、この地は東電からの寄付やら交付金やらで世話になっており、他の行政地区よりも金銭的に恵まれていると思います。

そおいうお金等を貰っていて、何かしらの利益を得て住んでいたのだから、事故が起きたからと言って、掌を返すように東電の批判をするつもりは有りません。

事故の可能性が有るのを認めながら住みついたのだから。

ただ、事故後の東電の対応を見ると、ちとマズイんじゃないの?と思う事がある。

当地にも東電の空いてる社宅・寮とか関係施設が有るようだが、なぜ避難民を真っ先に、そおいう関係施設へ収容しないのか?

東電関係企業(いわゆる子・孫会社)の寮などへは、かなり避難しているようです。

しかし、東電が自分の会社の社宅・寮などへ積極的に収容している・・という事を聞いた事がない。

σ(*_*)が知らないだけで、実際は避難している人がいるのかもしれんが・・

事故の件はここでは触れないにしても、避難民に関しては事故当事者である東電の「誠意」が全く見当たらないように思う。

「良かったら寮・施設等をご利用してください。」ではなく

「申し訳有りませんでした。
ご不便でしょうが、どうぞ全ての寮・施設等を開放しますので御利用ください。」と積極的に広報して、避難民を収容してもバチが当たらないと思う。

むしろ良識の有る企業だったら、それ位の「誠意」を見せるのは当然だと思い、それをしない東電がいかにキレイ事を言おうとも、今はもんのすごく不信感を持っている。

なお、σ(*_*)は原発推進・反対派のどちらでもありません。

個人的意見を言えば、原発は現状運転はそのまま、しかし以後新規設置はしない・・です。

以上、誤解されなければ良いんだが・・
世間では、あちこちで募金していますねぇ。

募金なんてもんは、「社会福祉協議会」の一つだけで良いと思うんだけれど、何でアチコチから沸いて出るように募金活動や振込先が沢山有るんじゃろおか?

コンジョの曲がった者の見方としては、募金集めしたその組織の名前を売りたいがために募金活動しとるように思う。

お寺からの募金・・その宗派被害者だけに支援金が行くのかな?

スーパーの前へ行けばチッコイ子供達が、「お願いしまあぁ~ぁす」

スーパーの前で募金箱持って訴えるより、家の手伝いをしてオダチンを貰い、それを募金するとか、アルバイトが可能であるならば、アルバイトして得たお金を募金した方が、募金額が多くなるのではないだろか?

正直言って、スーパー前の募金は、四国の寺前で托鉢?しているエンドレス?遍路さんの姿と重なって見え、こおいう募金のやり方は免罪符の役割をするようであり、σ(*_*)はこの種の募金方法はキライです。

実際、その入り口を避けて入る人が多いような気がする。

先にも書きましたが、募金先は一つだけでもええんじゃないですか?
募金も1回だけだったらアカンのでしょうか?

こんな風に思うσ(*_*)は、ケチで薄情な人間なのだと思う。

朝9時頃、センターへ行き、事務所でボランティアの手続きをします。

手続きと言っても、名前を書いて名札もらうだけだが・・
そこでその日の作業内容を聞き、たいていは仕分け作業です。

一昨日はボランティアの高校生を車に乗せて、各避難所を回って炊き出し鍋の回収をしてきたなぁ。

夕方4時までボランティアする時間なので、その頃に事務所へ行き「帰りまっさあ」と声を掛けると、お礼の言葉と共に用紙を持ってきます。

その用紙には、その日に思った事や、このようにした方が良い等の改善意見を書くようになってます。

何も無ければ書かなくても良いのだが、それでも「お役所の一端?」ながらも、このように実際にボランティァをしている人からの意見を聞き、それを吸い上げて反映しようという試みが珍しい。

普通、お役所ちゅうもんは、そんなメンドウな下々の意見を積極的に聞こうとせず、聞いても握りつぶすとかしちまっうもんだが・・

言っちゃあぁ悪いが、?配達のアルバイトした時には、絶対にこのような下からの意見を聞く事は無く、上意下立達の一方通行だった。
  (^O^)ナハハハ・・・バラシテ、スマン・・・

そんなもんだから、こおいう現場の意見を聞く態度というか姿勢が、もんのすごく新鮮に思え、こちらも積極的にアイデアを出せる。

事務所の人達がアッ!!と驚いて、一番喜ばれた?と思う作業は、パソコンで「2万5千分の一」の地図を取り込み、それに各避難所近辺のコンビニ・郵便局・スーパー・役場・GSを記載したA3地図を作成し、各避難所に配布した事だと思う。





近くのセンターへ、援助物資の仕分け作業に行って3日目。

普段、あんまり体を動かさなかったもんだから、体の節々が痛い。
特に階段を何回も上がり降りするのが、良い運動になるのでっしゃろなぁ。

σ(*_*)と同じ日からボランティア活動しているトッツアンが居て、受付でボラティァ登録した時から見ており、昨日帰りました。

聞く所によると、神奈川から来た人で偶然この地に居てボランテイァ募集しているのを知ったと言います。

ボランティア活動者は、避難者への食物や寝る場所を取ったらアカンという鉄則が有るらしいですねぇ。

このトッツアンは、リュックを担いで来て野宿覚悟だったよおです。

明るいトッツアンで、作業の合間にヒマが出来ると「ちょっと子供と遊んでいて良いですか」と断って、避難して来た小さい子供と良く遊んでいました。

大人が小さい子供と遊ぶという事は、なかなか出来ない事だと思い、自らその役目を買って出るというのはエライと思い、こおいう人も必要だと思う。

先にも書きましたが、「偶然この地に居たので・・」と言いましたが、それはウソで、たぶんわざわざ、ここへボランティアをしに来たのだと思う。

だって、観光地でも無く、何も無いようなドイナカの地に旅行をしに来る人なんか居ないですがなぁ。

このトッツアンは、この地に何かの思い入れが有り、それを隠してリュックを担いで偶然を装いボランティアに来たのだと思う。

センターで一緒に作業していた人達も、そおいう事がわかっていてもトッツアンの主張通りだと言う事にして別れました。

話しは変わって、ルーピーアホ鳩は「あれは方便だ」とシラジラしく言って責任逃れをしました。

同じ「方便」でも、トッツアンのこおいう「方便」は有っても良く、お互いに事情を察しあって許されあう「方便」だと思う。

神奈川のトッツアン、3日間、ありがとう。
あなたの積極的で身軽な動きと明るさに助かりました。
全国の仏教界は、寺院の広い本堂を震災避難をしてくる人達に開放すべきではないだろおか。

寺院にすれば、自分たちの生活も有り、そんな余裕は無いかもしれない。

しかし、もし近くの寺院で本堂を開放して避難民を受け入れたと聞けば、足りないと言われる手持ちの灯油を出し、必要物質も可能な限り届けたい。

また、それを伝え聞いた近所の人達も、きっと援助すると思う。

災害地へ物を送ったり行くだけがボランティでは無く、避難して来た人達を受け入れて助ける事もボランティアで、今それが一番必要の時期だと思う。

行政施設への受け入れが一番良いのだが、その態勢が整うまで、せめて普通の家よりも広い空間を持っている寺院本堂に避難させて欲しい。

当地には既に「いわき」ナンバーの車が多数避難して来ており、今後の日本仏教界の動きを見届けたい。

後出しジャンケンと言われるかもしれんが、炉心より3km以内範囲に避難命令やら指示がやらが出た時点で・・

いや、行政府からそんなのが出なくても、σ(*_*)だったら刀と尺八と貯金通帳を持って車で遠くへ逃げていた。

σ(*_*)とこは刈羽原発の炉心より2kmしか離れてなく、福島原発の事故は、とても他人事と思えなく、最初の事故時点から注目してました。

これが近距離での事故だった場合に、取ったであろうと思う行為です。

ちなみに、中越沖地震の経験から、地震が起きた時は停電になりテレビが見れなく、原発にどのような事故が起き、どおなってるか全然わからないと思います。

σ(*_*)も翌日の新聞を見るまで原発の状態を知らず、地震災害の全体像がつかめたのは、翌日の朝刊新聞で、この災害時に普段通り良く新聞を届けてくれたと今でも感心し、情報収集にはテレビよりも役立ち頼りになりました。


それが遠くで事故が起こりスリーマイルのように数100kmの範囲に被害が帯びる状態がわかった時、たとえその範囲内に入っていても(福島から200kmほど離れている)、たぶん最低限の防護策は取るが、家で普段の今まで通りの生活をすると思う。

まぁ・・あきらめ・・ですかねぇ。

後20年ほど生きたかったが、これも運命と思いジタバタしないでおこうと思ってる。

若い人達だったら、どおするかなぁと思い、子供達に聞いてみました。

「今のまま残って、逃げずに現在の職に就いてる」と言います。

そおでっしゃろなぁ、σ(*_*)も職に就いていたら、やはり同じ事を言ったと思う。

事故現場が近距離・長距離で、こんなに考えが違います。






中越沖地震から3年たちました。
年月が過ぎるのも早いですねえ。

あっ!!・・という間にトシとり、モウロクしちまうのかなぁ。
という、くだらん前置きはこれ位にして、そのイベントとして輸送艦「しもきた」が柏崎港に来ました。

沖に居た時は、その形状から小型空母かと思った。



20ミリ機関砲は前と後に2門しかなく、果たしてこれで敵飛行機を撃ち落とせるのか?
「チャフ」という、ミサイル攪乱装置は有るようだが・・・


旗流信号旗はA~Z、1~0、代表旗3旗が有り、それを組み合わせてマストに掲げます。



「ウイング」というのは船橋横の出っ張りで、入出港時や見張りする時に出ます。
「あたご」事故の時は、このウイングに人が居なかったらしい。





船橋内は、σ(*_*)の頃よりも、だいぶ近代化されてます。



ホーバクラフト



洗面所とトイレは併設されてます。


 さすが隊員の居住区は公開されていなかった




昨日、雪の中を郵便配達しました。
道に雪が積もってる時の配達は、これで2回目ですが、何度やっても雪道のバイク配達はしたくないなぁ。

いつもならば12時過ぎに終わるのだけれど、帰ったのは2時頃。
その間、昼飯も食わず・・12時にメシ食わないで働く職場は、ここが始めてじゃ。

と、コンジョ無しの前置きはこれ位にして・・

その日、いつも配達するガソリンスタンドへ行くと、壁の棚に古い茶釜に混じって尺八2本が飾ってあるのに気がつきました。

ほほおぉぉ・・この地域の人で尺八なんか、する人が居たのかぁ・・・

ちゅうのは、この付近では長岡まで行かないと、琴とか尺八を教えている人がいまへん。
柏崎に民謡尺八する人が居るようだけれど、教授しているのか、どこに住んでいるのかわかりまへん。

尺八の1本は、繋ぎ無しの1尺八寸位と思う。
割れ無しの無名した。

もう1本は中繋ぎがあり、もう少し長く2尺位と思うが、中繋ぎがユルユルで、何でこんなに緩いんじゃと思うほど隙間が有り、とても吹ける状態ではありまへん。
これは4・5孔付近に割れが有り、やはり無名。

1尺8寸と思われるものを試しに吹かせてもらいました。
最初はポイントが当たらないためか音がうまく出ませんでしたが、5分ほど吹いてると慣れてきて音が出るようになり、1曲サワリを少し吹いてみました。

うん、ええ音でよるじゃねぇか。(^O^)
慣れれば、この尺八で吹いても大丈夫な気がする。
音階も、そんなに外れていなかったしぃ・・。

聞けば、この中越沖地震で家が全壊し、物置に有った物を整理していたら出て来て捨てようかと思ったけれど、ちょっと店に飾ってみようと思ったらしいです。

祖父が吹いてたと言うから、古い物と思う。

ううむぅぅ・・けっこう地震で壊れて物置なんかも、あちこちでぶっ壊していたからなぁ。
そおいう所に、こおいう「お宝」が有ったかもしれないが、気付かずに捨てられたかもしれまへん。

今までだれも音を出せた人がいなく、「へえぇ~・・音が出るんだ」と店の人に感心された。(^O^)

2尺と思われる尺八は、どうしても音が出まへんでした。

と、15分ほどサボリましたとさ。(^O^)
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