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ジサマと同居した時から、ジサマの預貯金は全部取り上げて一括管理していました。

取り上げて・・と言うと、孤独なカワイソーな老人から金をむしり取る、悪どい子供夫婦という印象を受けます。(^O^)

しかし、そのお陰で、毎年2回、庭の松の手入れに10万/回を払ってたのを止める等、どうでもよいムダを省く事ができました。

これ毎年やってたら、5年間に100万ふっ飛んでいたことになり、σ(*_*)らが入るまでに数100万ムダ金を使っていた事になる。

そのジサマが大切にしていた松も、4年前にジサマの部屋を増設するために、ブッタ切っちまった。

しかし、ジサマの預貯金を、生前に全部把握していて良かったと思います。

もし最後までジサマに気遣いして取り上げなかったら、どこにどれだけの預貯金が有ったか、まったくわからずオロオロしていたでしょう。

後からこんな貯金が出てきたという例は良く聞きます。

で、長い前置きは、これ位にして・・・

ジサマが亡くなった日に郵便局へ、とりあえず葬式費用として100万降ろしに行きました。
まだ亡くなったのがバレていなく、すんなり降ろせました。!(^^)!

ジサマがなくなって4日ほどした時に、JAから貯金封鎖の電話が有り、これでJAの貯金からは口座引き落とし等、一切出来なくなりました。

聞く所によると、銀行等は毎朝新聞の死亡欄を見るのが勤めらしく、該当者を発見すると即時に貯金凍結するらしいです。

葬儀が終わり、JAへ行き貯金の廃止手続きに行きました。
残金は数千円くらいしかないので、放っていても良かったのですが、ジサマがJAの准組合員になってたのでその手続きも聞きたかったので・・

そしたら、印鑑証明やら戸籍謄本やら何やら必要書類が必要と言うので、書類を揃えて、また来る事にしました。

次いで銀行へ行き手続きをしに行き、「相談窓口」へ行ったが始めてだなぁ、ここへ入るのは・・

両替屋のオバハンが、書類をみながら通帳を見て、顔を近寄せ小声で

「あの・・おでえかんさま・・・
 これ、正式な手続きを取ると、必要書類が多くなりますので、どおでしょう、モノは相談ですが・・
 通帳の残高も少ないよおなので、亡くなった事を伏せて、このまま通帳を廃止という形にしたら、どないですねん?」

「おぉぉぉ・・・越後屋、それが出来るんならば、そおしてくれ。
 だれにもバレんようにな。!(^^)!ケケケケケ・・」

「もちろんですがなぁ・・おでえかんさまあぁぁ(^O^)ヒッヒッヒッ・・・」

銀行は、こおいう事にはシビアだと聞いてたが、えらい物わかりが良い両替屋じゃのおぅ、「水心有れば魚心」今後とも贔屓にしてやるでぇ。(^O^)

それに引き替え、JAの杓子定規な事・・

実はこの時、ジサマが子供達の名義で定額貯金をしており(これもジサマから取り上げた成果)、その定額貯金を全部降ろして、その資金で新たに銀行口座を作り、その口座から草家の固定資産税・電気・水道などの公共料金の全てを引き落とす手続きもしたのです。

厳密に言えば相続・贈与等、ややこしい手続きが必要だったのでしょうが、その事も正直に両替屋に伝えたため、こちらの意志に沿うようにしてくれました。

「ところで、おでぇかんさまあぁ・・
 おでぇかんさまは、小判をお持ちのようで、もしすぐに使う用途が無いならば、有利な資産運用があるので、お話を聞いてもらえまへんか?(^_-)ヘッヘッヘッ・・・」

「ううむうぅぅ・・これまで、よぉ~やってくれたからのおぅ。
 でもリスクを伴うのは、やらないよ。」

「はい、それはもう・・お話を聞いて貰えるだけでも・・・
 おでぇかんさまが話しを聞いてくれるそうです。」と支店長へ言いつけに行く。

支店長「ヒッヒッヒッヒッ・・おでえかんさまあぁ~・・
    この度は、ありがとうございます。(ハアァ~ァト)」

「こ・・こりはこりは、支店長自らお出ましとは・・
 畏れ多くも、もったいない・・・ははあぁぁぁぁm(_ _)m」


「おでぇかんさま、実はブラジル国債ちゅうのがありますねん。」
「うん、でも最初に言っておくが、リスクを伴うのは、やらないよ。」

「はい、それでも良いですので話しを聞いてください」
と言って5分ほどパンフレットやら利率表を見せて話したが、σ(*_*)は断りました。



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日本の風習には、「お見舞い返し」を含めて他の人から何かを貰ったら、そのお返しをするという美風?が有りますねぇ。

一般的には、吉事には同額以上、不幸だったら半返しとか・・・

葬儀が終わると、香典開きをしますが、息子と二人でやったら、2万円合わず少なかった。

どちらかが言い間違えか、聞き間違えしたんでしょう。

記録の方が多めだから、まぁ良しとしよう。
逆だったら「香典、これだけ包んだのに、香典返しも寄こさない」という人がいるかもしれんのでなぁ。

香典開きの時は、包み紙に入ってた金額を記載するのが普通なのだが、今回は、それを省略しちまった。
やっぱし包み紙に記載しとくべきだった。

香典返しの目安は、5000円以上の人は2000円位。
1万以上の人は4000円位を目安にしました。

しかしなぁ・・香典を持って来た人は、そんな香典返しに期待してないと思うんだがと主張したが、越後屋の「世間常識では・・」のきついお言葉で引き下がった。

そいでもって、そこはシッカリと葬儀屋が押さえていて、香典返しのパンフレットも手際よく置いていきます。

試しにギフトセンタへ行って見ると、葬儀屋よりも安いような感じなので5000円クラスを買い、1万以上はカワイソーだから葬儀屋でやりました。

5000円クラスは、たいてい近所なのですが、番地が書いてないのが多く、どこの家かよぉ~わかりまへん。

そこで前職で世話になった郵便局へ行き、顔見知りの人に聞きました。

郵政内部では、ホンマは「個人情報だから教え無い」事になってると思うが、そこはそれ・・・(^_-)ヘッヘッヘッ・・・・

さすが名前を見ただけで番地をスラスラ教えてくれます。
σ(*_*)は、もうだいぶ忘れっちまったが。

車に乗って、1件1件香典返しをして回りました。

香典返しは、なるべく早くとパンフレットに書いてあったもんで、「初七日」までこの作業にたずさわって、ホンマに落ち着いて休むヒマもなかった。

こおいう苦労をしないためにも、挨拶の時に
「皆様から頂きました香典は、しかるべき所へ寄付いたしますので、香典返しをしないという事を御了承願います。」
と一言最後に付け加えて、深々と頭を下げれば良いと思う。

たぶん出席者も納得してくれると思うがなぁ。

ちなみに死亡の広報・新聞掲載は一切しませんでした。

これは広報・新聞に載せちまったら「この機会にぜひ墓を買え」「香典返しをぜひ当店に・・」という電話やら訪問がワンサと有るのがわかってたいたからで、これはσ(*_*)の両親の時に経験済みです。

しかし、公に知らせなかったのに、1件だけ「香典返しを・・」と言って来た店があります。

その言い分が「偶然ここを通って見つけましたので・・」

ウソこけぇ・・「JA」から知らせが言ったんじゃろ。
σ(*_*)は紳士だから問い詰めずに「もう香典返しを終わりましたので」と丁寧に断ったが・・・

香典返しでバタバタしてる時に「JA」から預貯金の凍結の電話が有ったからなぁ。
もっとも「JA」からも香典が来たけれど・・・





当地では葬儀の「おとき」が終わって解散かと思い、それでオシマイかと安心したらアカンでっせぇ。

「おとき」が終わり家に帰ると、一息するヒマも無く、すみやかに「寺参り」つうのをしなければアカンのです。

まぁ・・旦那寺へ「ありがとさんでした」と家族一同が、お礼を言いに行くのが主旨らしい。

で、寺へいくと、坊さんが本尊さんの前で経を唱え、焼香し、客間で茶をすすってから家に帰ります。

やれやれ、これでホンマに今日は終わったなぁ・・と安心してグタッと畳の上に倒れ込んだらアカンのです。

気をしっかり持ち直して起きあがり、その後には「念仏」と言って、近所の人がワラワラ・・と家に集まって来ます。

で、何するかと言うと、その家の宗旨によって御詠歌唄ったり、「ナマンダブ」とか「ホーレンゲーキョー」を唱えたりするらしいですなぁ。

「・・ですなぁ」というのは、σ(*_*)は未経験なので、この「念仏」数年前にσ(*_*)とこの地区だけ廃止になり、他地区ではまだ続けてるらしいです。

数年前の地区の「草刈り」が有った時、「念仏を止めよう」という声があがりました。

それを言い出したのが、トシヨリだったから良かったのですねぇ。

σ(*_*)みたいヨソモンとか若い衆が言ったら、ジジババどもに、「この不信心モンが・・」とか「「今までの風習を壊すのか・・」と言われてドツキまわされたかもしれん。

やっぱり、葬儀後の「念仏」は、遺族にもんのすごい負担が掛かっていたと思う。

「念仏」が有れば、来る人に一々頭を下げて礼を言い、茶を出して話し相手もし、長々と(たぶん)何かわからんモンを唱え、サッサッと帰ってくれないだろおし・・

この「念仏」の風習が無くなって、越後屋もホンマに喜んでいた。

もしこの風習が残っていたならば、葬儀の気苦労・疲れは倍加してたと思う。

喪主の挨拶つうのが、たくさん有りましてなぁ。

1 家から葬儀所へ行く時に、家の前で近所の人達に挨拶。
2 通夜が終わった時の挨拶
3 葬儀終了後の挨拶
4 葬儀所から火葬場へ行く時に挨拶
5 葬儀の「おとき(食事)」が終わる時の挨拶

普段、大勢の人前で話した事がないもんだから、すっかりアガッちまって・・・

1の近所の人達への挨拶は、完全にアガッていた。

遍路・巡礼して人が居ても寺前で尺八吹いていた時は全然アガラないのですが、やっぱし、あれとこれは違うもんです。

挨拶も、よぉ~似た内容ばっかしで、何度も聞かされる方はオモロなかったと思う。

もっと挨拶の数を減らしても良いのではないのかとの声も有った。

でね、アガラないためカンニングペーパーを作っておいたんですよ。

結局ペーパーを見ずに話したので、アガッたのでしょうねぇ。

そいで一番最後の5の「おとき」終了の挨拶の時に

「え~・・・何ともはや、今までみっともない挨拶をしました。
実はσ(*_*)は、これこの通りカンニングーペーパーを用意してたんです。」と、ペーパーを出して、皆にヒラヒラと見せました。

一同、ドッと笑い声。

「そいで、せっかく作ったペーパーなので、これ見ながら最後の挨拶をさせてもらいます。」
と、2行ほどの短い挨拶文のペーパーを見ながら挨拶をし終わると、出席者全員から笑い声とパチパチと拍手がありました。

おいおい、すっかり飲み会における二次会のノリじゃないか(^O^)ナハハハ・・・

席に帰ると「今までの中で、一番良い挨拶だった」と笑いながら声を掛けてくれます。

普通、葬儀つうもんはシンミリとして、ボソボソと小さい声で話しをして、暗い雰囲気なものですが、今回の通夜・「おとき」は初めて見る出席者同士でも、思った以上に和気あいあいと話して笑い声も聞こえました。

これは、ジサマが亡くなった時に、すぐに駆けつけた親戚の人が、ジサマの軍隊時代の話しをした時、「ジサマがその時に使ってた軍刀が有る」と言って刀を抜いて見せ、どっかにぶつけないかとハラハラしながら持たせてあげたんです。

そしたら案の定、しっかり刃を触られちまった。
「いいですよ、後で手入れしますから」と、心とは裏腹に言っといたが。

その時の親戚一同が「初めて見た」と、もんのすごく喜んで感激してくれましてなぁ。

次の通夜も葬儀の時も、その親戚がジサマの古い写真を持って来て、それを皆に見せ、見知らぬ親戚同士も共通の話題ができたんです。

こおいう事が有ったので、通夜・葬儀を楽しく?過ごす事が出来ましたが、こおいう楽しい葬儀は初めてだった。

たぶんジサマも、親戚一同が集まって、それを話題に偲んで楽しく過ごしてくれたので喜んでいると思う。

ジサマの死は突然でなく予想出来てましたので、葬儀社から資料を取り寄せたりして、有る程度の葬儀準備をしておりました。

結果的には、突発的な事項が生じてアワワワ・・と汗をかく事も無く、無事終えました。

次の3点を事前に把握しておいたのが良かったと思う。
1 参列者の連絡一覧表
2 家族の葬儀役割
3 葬儀の実施内容順序の把握

今まで2回、喪主の手伝いをした事と、地元の葬儀に参列した事も2回有ったので、今回の葬儀では、どのような事をするのか、だいたい知っていた。

ホントは寺なんか呼ばず自由葬でやりたかったのだが、越後屋のジサマなので、越後屋の希望通り、世間一般的な葬儀をしました。

まずは葬儀社に連絡し、次いで寺へ連絡。
坊さんが枕経をあげてから、葬儀社との3者会談。

通夜・葬儀の日時を決定。

気になっていた坊主を何人呼ばねばならんのか?という事を、坊さんに直接聞くと「何人でも良いですよ。私一人でも良いですよ。」というありがたいお言葉。

ほんとは喜んで「そいじゃ一人でお願いします。」と言いたかったが、そこをグッとこらえて、もう一人知ってる坊さんが居たので二人でやってもらう事にした。

実は、σ(*_*)の両親の葬儀の時、坊主が3人来たのです。

その時に寺が「寂しかったら、もっと増やす事もできますよ」なんて事うもんだから、最低3人は呼ばなければアカンと思っていたんです。

ほれ・・なんせ坊主が一人増えたら、その増えた分だけ決して安くもない高額な布施が必要でしょうがぁ。

で、知らなかったのですが、葬儀会場へ飾るために寺から本尊を借りてこなければならないのですなぁ、ここら辺の風習では。

葬儀社からそれを言われ、その借り賃と布施の金額を聞くと「直接寺で聞いてくれ、教えなかったら、だいたいの相場を教える」と言います。

寺からの要望で「本尊を取りに来る時は二人で来て、助手席に本尊さんを置くというような事をせず、一人は後座席に座り、本尊を抱えて持っていて欲しい」というお言葉。

ふう~む、まぁ寺としては本尊さんだから粗末に扱ってほしくないんでしょねぇ。

で、言われるとおり息子の運転で取りに行き、本尊の貸し賃を聞くと「10万円」

ゲッ!!・・高っっっっっ!!

タダで貸してくれるか、お礼として1万も包めば良いかと思ってた。

そいでお布施の額を聞くと、これはさすがに値段を言いませんでしたねぇ。
まぁ、バサマの葬儀時の記録が残ってるので、それと同じにしようとは思ってたが・・

寺から家へ帰る時は、言われるまま後座席で、マジメな顔してσ(*_*)が本尊さんを抱えて持って来ました。

葬儀社に渡すと「はいよ」って感じで、片手で抱えて持って行っちゃった。

おいおい、そんな姿を寺が見たら怒るでぇ。
思わず息子と顔を見合わせて笑っちまった。(^O^)

コンビニで買い物して出ると、出口の方でσ(*_*)の前に買い物した先客がコンビニ横から出て来ました。

ふと見ると、黒衣の坊さんが居て、お布施していたよおです。

おぉぉ・・これは是非お話したいと思い、話しかけました。




聞けば、金沢の大乗寺(クリックしてね)から山形の叔父の寺へ行く途中だそうです。

姿形から曹洞宗だと思い、永平寺なら知ってたが大乗寺という寺は知らず、あまり大きい寺でないだろおと思ってましたが、ネットで調べると大きい歴史の有る寺なんですねぇ。

話してると先程の先客が再び戻って来て「自分も四国遍路していたのだ」と言います。

おぉぉ・・やっぱしなぁ。

この葬式仏教花盛りのご時世で、歩き旅の坊さんに「お布施」するような人は、四国遍路経験者だけかもしれん。

σ(*_*)が話していたからか、先客はすぐに帰ってしまった。




これからの行程を聞き、σ(*_*)が越後霊場を歩いた経験上の「道の駅」と、やはり歩道の有無を気にしており、新発田から北上する国道は歩道が有ったと教えた。

1日40kmほど歩くと言ってたが若さだなぁ。まだ20才代のよおだ。
寺では3年余り修行して、将来は山形県の叔父の寺を継ぐらしい。

聞けばσ(*_*)が泊まった「市振駅」で野宿したといい、荷物はリュックを持たず、本当に軽装でテントを持たず、サンヤ袋と雨合羽だけだった。

σ(*_*)のように銀マット・シュラフ等という軟弱な装備なんか持たず、さすが禅宗で修行される人は、違いまんなぁ。

こっちはヒマだから長話しても良いのだが、歩きの人は先を急いであんまり付きあっておれんだろおと思い、名刺を持って無かったので、後でσ(*_*)のホームページの名刺を持って追いかけると言って分かれた。

家に帰り、冷凍庫の中に凍った麦茶か水が無いか探したが無かった。

気は心と思い、孫用に置いてある凍ったジュースを取り上げ、お菓子をスーパーの袋に入れ、他に何かやる物はないか・・と思ったら、越後屋が「梅干し」と言ったので、それを6個ほど袋に入れた。

この「梅干し」がけっこう疲れが取れたり、汗で流れ出る塩分補給になる、優れモノなんですねぇ。




自転車で追いかけて渡すと「だい・・何とか、かんとかあぁぁ~・・」と大声で言いながら合掌して受け取った。

おぉぉ・・さすが禅宗・・四国遍路と言う事が違うなぁ。

お返しに、こちらも礼儀として合掌しながら「南無大師遍照金剛」を3度唱えた。

知らない人がこの光景を見たら、何やっとんじゃ?と思ったろおなぁ。

ただ、こんな事になるとは思わなかったので、自転車に乗ったまま、やったのがマズかったかもしれん。
あっ・・「朱鷺」の事ではありまへん。
某仏教・啓蒙紙に記載された記事の題です。

「「おとき」は食事会ではない」という副題がついており、最近の若いモンは「おとき」の礼儀を知らん!!・・というお怒りというか、注意喚起されてるようです。

要約すると
「法事などの最後に「おとき」があるが、これは単なる食事会と考えてる人が多くなったように思う」

ええっっ~??・・そうなの??・・・
σ(*_*)単なるお食事会だと思ってた。

「「おとき」の最中に席を立ってお酌に回る人が少なくなってきた」
ん?・・酌をしに回らないのが気にいらんのかな?

「分別ある上座の親戚が気お使って、お酌して回るのが見かけるが、本当はそんな失礼な事を施主はさせてはいけない」
ふう~むぅ・・・σ(*_*)が上座に座る親戚の立場ならば、自ら酌なんかしに行かず、その前にそっと施主を呼んで「お前、アホらしいかもしれんが、ちっと坊主に頭下げて酌して来い」と言うと思う。
そおいう注意もせず、施主より先に酌する方がオカシイと思うがなぁ。

σ(*_*)がまだ若い青年になったばかりの頃、しかたなく義理人情で酌をしに行った事があるが、その時、順序なんかどうでも良いと思い、下座から上座に向かって酌したんです。

そしたら親戚の人が、そっと「こおいうモンは、上座から下座に向かってするもんだよ」と教えてくれ、そおいう事を教えてくれた親戚の人に今も感謝している。

しかしぃ・・・会食でも何でも、酌して回るのは好きでないなぁ。
そんなもん、勝手に手酌して酒飲んでおればええのにぃ。

前職の時も懇親会という名目で、仕方なく出席したが、当然エライ人の所へなんか酌しに行かず、同年輩の仲間達の方へ集まり、早く終わらないかと思ってた。

「断じて言う、この「おとき」はれっきとした仏事の一部であり、決して仏事が終わったからの会食だと思わないでほしい」

んな事を言われてもねぇ・・
そりゃあぁ坊さん方達は、そう思ってるかもしれんが、一般庶民はそんな風に思ってまへんでぇ。

単なる昔からやってる儀式で、仏事だとか酌だとかヤヤコシイ意義なんか考えず、できる事なればアッサリ簡単に、そして可能ならば省略したいと思ってるのが本音だと思う。

だいたいそんな風にエラソーに施主に文句を垂れるならば、それまでの間、あぁたは施主に対し日頃どのような仏教を教えてきたのかと、逆に是非伺いたい。

葬儀・法要の時だけ顔を合わせて、5分位ありきたりの説教するだけだったら、そりゃあぁ~単なる食事会だと一般庶民は思いますがなぁ。
それ以上の信心を持てという方が無理と違いますか? (^O^)

最近、某政党の代表が盛んに「友愛」を強調しとりますねぇ。

「友愛」とは何じゃろ?

「愛しとる」とか「愛してない」とか・・「愛の劇場」とか・・

「愛」という意味は、いかにも美しくも悲しく・貧しくとも助け合うというような意味合いがありそうな事に、よぉ~使われますねぇ。

でね・・仏教的に言う「愛」とキリスト教的の「愛」とは、意味合いが違うんです。

キリスト的なのは、よぉ~わからんが、たぶん上記のような意味亜だと思う。

仏教で使われる「愛」は、はっきり言って「煩悩」の事を言っており、キリスト的とは意味合いが全く違ってます。

「愛着」「渇愛」「愛欲」・・という言葉がありますが、これ全て執着心の表れです。

「愛着」・・奪われたくない、ワイだけの物じゃ。
「渇愛」・・ワイがこんだけ愛しているのに、何でわかってくれんのじゃ・・もっと愛してくりぃ
「愛欲」・・愛しとるならば、こんな事もあんな事も、してくりて当然なのに、なあ~ぁもしてくりん。

そいで「友愛」とは何?

かの代表は「日本列島は、日本人だけの物じゃない」と言われるので、日本列島は外国人の物でもあるらしい。

きっと「外国人の友」の「愛」を得る事に、執着しとるんでしょうねぇ。
そんな事より「日本人」の「愛」を得る事に執着して欲しい。



スーパーへ買い物に行った時、ちょうど雲水姿の人が出てきました。

おぉぉ・・・これは珍しい、見れば歩き修行のようなので、プロの尊いお話の一端を伺えれば、これからの遍路・巡礼の役に立つのではと思い、お布施の小銭を手に持って声をかけました。

でも声を掛けても、サッサッと行きたがるようなのですねぇ。

そこで、「お布施です」と言って小銭を差し出し、頭に般若心経を書いた手拭いを被っていたので「真言宗ですか?」と聞くと禅宗であったが、今は宗派を離れていると言いますが、話しを打ち切りたそうです。

「実は、私も四国遍路をしていたので、お姿を拝見し、少しお話をしたかったのですが・・」

「あっ、そうとは知らずにすみませんでした。
このようなカッコウしているので、珍しがられて良く話し掛けられて来る事が多く、それを避けたかっものでして・・」

「遠くから来られたのですか?」
「遠く・・といっても、鹿児島から北海道まで何回も行ったりしてますので・・・」


どうしても話しを早く打ち切りたそうなので、引き留めても悪いと思い、「それでは、お元気で」という言葉を掛けて別れました。

年の頃は40才ぐらいで、雲水の服は日に焼け色あせており、胸からは、今買ったばかりのカップラーメンが覗いてます。

足下を見ればワラジ履きで、足指を痛めているのか、片方の足先に布が巻き付けてあります。

話しをするのを避けているので、σ(*_*)らが遍路しているのとは違い「縁を確かめあう」という修行では無いなあ・・と思いました。

それが禅宗の考えなのか、この人の独自の考えなのかわかりまへん。
そこら辺の話しを、ぜひ聞いてみたかったんだが・・

もしσ(*_*)が作務衣姿で、杖・笠を持って巡礼中の時に話し掛けたのだったら、この人はどうしたかな?

宗派を離れているというので、やっぱり話しを避けたかもしれない。

ずう~っと野宿しながら、考える事が有って全国を放浪しとるんでしょうねぇ。
σ(*_*)からみれば夢のような生活しとりますなぁ。

師匠・・と呼んでみたい。











「もしもし・・草さんのお宅ですか?」と中年女性の優しそうな声。

「はい、そうです。」とポーっと赤面しながら、恥ずかしそうに答えるσ(*_*)

「私、ボランティアしている者ですが、少しお時間頂けますか?」

おっ・・どっかからσ(*_*)が尺八やってるのを聞きつけて、老人ホームで尺八を吹いてくれという演奏依頼かな?

目立たんように家でしか吹いてないが・・

それでもσ(*_*)が役場へ用事が有って行った時、そこで近所の役場へ勤めて居る人と出会い、その場に居た職員の人に「この人は尺八の大家やでぇ、スゲエんだから、おまえも尺八習えと」と大袈裟に盛んに勧めておったからなぁ。

まぁ・・それでも内容を聞いてみないとなぁ・・

「どのようなボランティアでしょうか?」
「はい、あの・・・私たちは聖書を・・・」

そこまで聞いてピーンときたので、話をしてる最中に割り込み

「ものみの塔の人ですね?」とドスのきいたσ(*_*)の声

「えっ・・あっ・・はい、そおです・・」と少しあわててバレたかという優しい女性の声。

おんどりゃあぁぁ!!・・ボランティの名前をかたりやがって、このσ(*_*)に邪宗教の話を持ちかけて来るとは、ええ度胸しとるんじゃねぇか。
よっしゃあぁぁ、相手になってやるでぇ。

と言おうかとも思ったけれど、σ(*_*)は紳士なので

「あの・・先日来られた方にもお話したのですが、あなた方は「来るな」と言っても家に来るのですか?
また「電話もするな」と言っても電話してくるんですか?」
と神父さんのように優しく尋ねました。


「あっ・・いえ、そのような事とは知りませんで・・
聞いてなかったもので・・失礼しました・・」
と哀れな中年羊はカワイイ声でメェメェから鳴きます。

「そおですか、それでは二度と電話しないでください」と静かに電話を切りました。
σ(*_*)もだいぶ人間が出来てきたのおぅ。(^O^)クワックワックワッ・・・
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