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ネットをフラフラ見ていたら「ウトコトメ修羅場」とか「・・因果応報」とか何とかいうオトロシそうなのにブチ当たり、拝見するとスサマジイでんなぁ。

ある意味、人世の縮図を見る思いがします。

σ(*_*)とこは二世代住宅で、1階はσ(*_*)、二階は息子夫婦が住んでおり、「修羅場」「因果応報」の劇場場面には、ぴったりの同居設定画面です。(^O^) ヘッヘッヘッ・・・

別にσ(*_*)らが、「ヨメコさん、二世代住宅にするから一緒に住め」と言ったのではありまへん。

むしろ、ヨメコさんの方から「アパート代がかかるので同居させてください」と言われました。

で・・同居する際には、越後屋の強い、ツヨォイ~ィ~・・要望で、2階にもキッチンを作りました。

男のσ(*_*)らには、よぉ~わからんですが、キッチンは「女の城」で共用したら絶対にお互い、ややこしくなるとの事で、別々に作ったこれは大正解だったと思います。

同居する際にヨメコさんに言いました。
「今まで見知らぬ赤の他人だったのに、結婚したからと言って急に親だとか子だと思えと言っても、そりゃあぁ~心理的には絶対に無理なので、親だとは思わなくても良い。

σ(*_*)らも、全く別の一つの独立した夫婦家庭だと思って接する。

同居していてもσ(*_*)らを大家のジサマ・バサマ、あるいは近所のトシヨリ夫婦だと思ってくれれば良いし、σ(*_*)らもあんた方を近所の若夫婦と思って、お付き合いする」

まぁ・・付かず離れず・・という感じですね。

σ(*_*)らは、何かの用が有る時以外は、絶対に2階へ上がらず、その際には必ず声を掛けます。

お互いに作った食事のオカズは、時々やり取りします。

日本の風習というか何というか、結婚したらその家族になっちまうのが「当たり前」・・という考えが、ヨメコさんの立場をキツクして修羅場・因果応報の最大の原因になると思う。

結婚したならば、別の一つの独立した家族とみなすのが一番良いと思うが・・。

それにしても、女に生まれなくて良かったなぁ・・・。(^O^)



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書類さえ整えて、正式に受理されたら後は早いですねぇ。

2日後に「登記識別情報」が発行されました。

σ(*_*)が受取に行き、二人を家に呼んで、まずは「識別情報」とはどんなモンか・・とネットから検索したのを印刷して渡し説明しました。

B息子さんは、若いからわかってくれましたが、Aジサマはトシなもんだから、よぉ~わからんが「はいはい・・」と、わかったフリ。

で・・σ(*_*)が不正して、自分とこだけウマイ事しとらんかと思われないように、お互いに交換して自分の土地になった枝番と情報識別の番地枝番が一致してるか確認させました。

これねB息子さんは、わかってくれて自分の分は確認してくれましたが、Bジサマは「何すりゃいいの?」という感じ・・

そこでB息子さんに「悪いけれど、Aジサマの分も確認チェックしてもらえまへんか?。
σ(*_*)がやっても良いけれど、やっぱりこおいうモンは、第三者がやった方が良いと思いますので・・」と言うと、やってくれました。

次に、かかった費用・・これもσ(*_*)が金をゴマかしとらんかと思われないように、徹底的に詳細にエクセルで内訳を作りました。

自分に絡んだ土地分は、その人同士で二分割するという事にしてあったので、印紙の領収書コピーも添付して説明しましたが、やっぱりBジサマは、「何言ってまんの?」という感じだが、それぞれ立て替えておいた印紙代をくれ、やっと全て完了。

今回の一番のガンは「農地法第3条」
これのために、現在耕作放棄している田畑にも制限がかかっており、利用されないままになっている。

戦後当時は米作り、農作物を作る人を保護するために必要だったかもしれんが、今はむしろ後継者・耕作者も少なく、果たして必要な法律じゃろうか?

なんとか土地の効率的利用にならんかなぁ・・おそらく法改正されず、このままじゃろなぁ。

            おしまい

奉行所へ申請書を出したら、翌日さっそくお呼び出しの電話がありました。

どことかの訂正が必要とか何とか・かんとか・・

それプラス、σ(*_*)の住所が、富山県某地の住所になっており今の住所と違う。

これは前職の時に、転勤でアチコチ動いてた時に相続したので、その転勤地の住所で登録してたのです。

で・・これを証明する書類を・・との事で、役場へ行って「附票」を貰ってくるように言われました。

何?・・それ?・・とネットで調べると、やっぱりよぉ~似た事例で、それを貰えば以前住んでた住所が記載してあるらしい。

で・・貰って見ると・・・
おぉぉ!!書いてあるじゃねぇか・・ビッシリと転勤した順番に・・(^O^)

それとB息子さんの住所も違う・・「何とか番地」となっているが現住所は「何とか番地1」と数字の「1」が付いてる。

そんなもん同じ番地だから、付いてても、いいんじゃねぇかと思うが、「1」が付いたという証明が必要で、同じく「附票」提出するように。

B息子さんに電話して家に来てもらい事情を言い「1が付いた心当たりがあるか?」と聞くと
「地震の時に家が壊れて立て直した。その時に新しく家を建てる時に同じ番地ではアカンらしく「1」を付けて新築した。」との事です。

へえぇぇ・・・そんな云われがあったんだ。

で・・これも附票に、二つの番地が記載されてたので「OK」

書けば簡単ですが、一々電話して説明して書類を貰って来て提出となれば最低2日間はかかります。

自分一人の事だったら、チャッチャッとその日のうちに解決させるんだけど、どおしても第三者がいると連絡等に時間がかかります。

で・・再度の呼び出し・・

もう、この段階で訂正がかなりあったので、書類を書き直した方が良いと思い、申請書を一度、取り下げして作り直しました。

で、新しく作った書類を持って各家を回り、実印を押してもらい、再提出・・

そしたら、あぁたぁ・・「捨て印」が押してない・・・
ワアァ~ァン・・先に早く言ってよぉ~・・・(T_T)

で・・書類を持って各家から印を押してもらいました。

で・・で・・・やっと書類が整いましたが、Aジサマだけ「土地の登記書」を提出できませんでした。

探せば、どっかに有るのかもしれまへんが、なんせトシなもんだから、探しきれんよおです。

そおいう場合は法務局からAジサマに「本人限定」の手紙が行き、その書類に実印を押して返送または法務局へ持って行けば良いらしい。

で・・その「本人限定」の手紙がAジサマの所へ、いつ来るかと待っていたのですが、電話が来ないので聞いてみました。

そしたら奥さんが「法務局から手紙が来ていると郵便局から手紙が来た。でもジサマは近所の体操に出かけて留守している。」

あちゃあぁ・・・この忙しく急いでる時にぃ・・・(/_;) イライラ・・・

やっとジサマが家に帰り法務局からの手紙を受取ましたが、その日はもう遅いので翌朝ジサマの所へ伺い、そのまま法務局に提出する事にしました。

翌朝、ジサマの家へ行き法務局からの手紙に実印押したのですが、その印影がカスレが少し有り・・ヒョットしたらダメかなぁ・・と思いました。

ジサマの朱肉が、あんまり良くないよおで、隣に押印させても同じだろうと思い、ダメかもしれんが・・と思い法務局へ行ったら、やっぱりダメだった。(T_T) ワアァ~ン・・

ジサマは実印をσ(*_*)に貸さないだろおと思い、電話で事情を話して午後からジサマを連れて法務局へ行きました。

担当官はハンコを見て印を掃除し、書類に印を押してやっと終了。

永かったなぁ・・、こりゃあぁ~・・土地家屋士なんか頼むと、手続き料を2~30万円位、ふんだくるのは、わかると思った。

家に2人の地権者を呼び、「時効取得」が可能な事を話ました。

一人は75才のジサマ(Aジサマとする)で、もう一人は80才なので耳が遠くなったようで息子(B息子とする)が代理で来ました。

Aジサマは、土地交換の当事者だったので、経緯も知っておりわかってくれましたが、B息子は父親から経緯を聞いてないので、何がなんだかわからんなりに「時効取得」の説明を聞いてたようで、一通り説明が終わった時に改めて「何でこんな事するのでっか?」と聞いてきた。

まぁ・・そおでしょうなぁ・・・

σ(*_*)でさえも、死んだジサマから「土地交換の話は3者で済んでる」としか聞いておらず、詳しい地籍がどうなっているのか、どの土地がだれに交換されるのか、よぉ~わからんかったもんなぁ。

残ってた資料をひっくり返して調べ、やっとこの土地がだれに行き、この土地がσ(*_*)とこへ来るんだと、やっとわかったんだもん。

今ならば、Aジサマという当事者がまだ存命しているので、話が進みやすかったが、Aジサマも死んでいたら、Aジサマの家族にも口からアワを飛ばしながら、最初の経緯から説明しなければアカンとこだった。

第二の関門が、この3者合意の再確認でしたが、今までの経緯を説明してB息子さんも納得しました。

良かったなぁ・・ここでゴネられたり「オラ知らねえ」とか「ヤダ」とか言われて、ややこしくなるとオジャンになる所だった。(^O^)

土地問題は年月が過ぎると、地権者が死んでたりすると全くわからんようになっちまいます。


次に、この手続きを司法書士とか土地家屋調査士にしてもらうか、それともσ(*_*)を信用して代理人として手続きするかを聞きました。

σ(*_*)の予想では、収入印紙代として各自約1万円程度は必要と思い、もし司法書士等に手続きを頼むと手数料として他に10万円位取られるのではないか・・と言いました。

幸いにも皆さんはσ(*_*)を信用してくれ、アッサリ代理人としてくれました。

そこで法務局の奉行所で聞いてきた申請書を、PCで既に作成していたので、それに持ってきた実印を押してもらい、土地の権利書を預かりました。

その後、役場へ行って、印鑑登録の写し・住民票の写し・土地の評価証明書を貰って来るように言いました。

土地の登記手続きは個人でも出来るのですが、この書類を集めたり申請書の書き方がメンドウなので、たいていの人は資格を持ってる司法書士等に頼むようです。

この登記申請に際しても、おそらく奉行所へ書類を出しても一発で通るとは思っておらず、たぶん書類訂正とか、他の証明書が必要になるかもしれず、この後も何度も奉行所へ行かにゃアカンだろなぁ・・と覚悟しておりました。

σ(*_*)はヒマな人間なので、何度でも奉行所へ行けますが、仕事を持ってる人にはキツイと思います。

また民間の事務手続きのしかたと、役所の書類手続きとは少しばかり違います。

大きくは変わらないでしょうが、役所提出書類だと、法的にどこからも突っ込まれない書き方・手続きとなり、絶対に間違いの無い書類を作成しなければならんのです。

σ(*_*)もチビッと国有財産や土地関係の書類を触った事があるので、そこら付近は心得ています。







代官所の人がくれた紙には「農地の時効取得」の事が書いてあります。

「時効取得」というのは、他人の土地であっても、公然とその土地を最高20年間使用していれば、自分の土地になる・・というもので、この用例等は知ってました。

測量・境界標を設置した年月から換算して十数年・・まだ20年たってまへん。

ただ、この「時効取得」と言うのは農地法よりも強く、法務局で「時効」を認められれば農業委員会に通知が来るだけで、それに対して農業委員会は異議を言えなく、土地交換は可能だと教えてもらいました。

礼を言って代官所を引き下がり、ネットで「時効取得」を調べました。

簡単に20年間自分の物のようにして使用していたら、アッサリ「OK」かと思えば、そおでもなく、さすが法国家・・地主側が同意しなければ裁判になるようです。

裁判費用も、けっこう係るようで、わずかな土地の事だったら、そのままにしておく例が多いらしいですなぁ。

今回の件は、3者が合意しているので裁判ざたにはならないと思うが、「時効完了」期間がなぁ・・

もう一度、この田畑に関する書類を引っ張り出して眺めていると「土地交換 三者合意文書」という「覚え書」が出てきて、この年月が昭和59年・・・

よっしゃあぁぁぁ・・これならば時効の20年間が過ぎてる証明になる。
おい越後屋、今晩は赤飯炊け・・・!(^^)! ワハハハハハ・・・

翌日、法務局へ行き図面と状況を説明し、時効期間が終わった証明として「覚え書」も見せ、「時効取得」できるか聞きました。

お奉行様は事情を聞き
「時効取得は可能であるが、その「覚え書」は出さない方が良い。
その「覚え書」が有ると、お互いに合意しながら土地を利用していた事になり時効取得の要件にはならない。
時効取得は、あくまで知らないで使用していた・・というのが前提である」
と言うような事を言われ、ここでもありがたぁ~い、お裁きをして頂きました。(T_T) ウッウッウッ・・・

たぶん、三者が合意しており裁判絡みでは無いので、血も涙も有る温情を示してくれたような気がします。

念のために作成しておいた、法務局への申請資料を見てもらいアドバイスをしてもらいました。


実はネコのヒタイほどの畑がありますが、亡くなったジサマの代から地籍が入り組んでおりましてなぁ。

なんで、こんなバラバラの土地を各自所有しているんだろ・・と、その経緯がわかりまへん。

そのバラバラの地籍関係には、σ(*_*)を含めて3人の地権者がおり、3色(赤・青・緑)に色分けしてみました。


で・・実際は3者が話し合って、面積に応じた効率的な土地交換をしようじゃねぇか・・と話し合い、測量もして境界標も設置し、それに応じた分筆も行い、実際にこのように耕作しています。
それが、これ・・・


で・・これを登記して、それぞれの土地所有権を移転しようとしたのですが、世の中そんなにアッサリと事は進みません。

最初に壮大に立ちそびえるのが「農地法3条」の壁・・どうじゃ、まいったかぁ。(^O^)
ええいいいぃぃぃぃっ~、頭が高いぃぃ~・・
「農地法第3条」の御前である、ひかえおろおぉぉ~・・・

ははあぁぁぁ~m(_ _)m ← これσ(*_*)

この法律は、田畑などを持っていない人は、ほとんど知らないと思いますが、早い話が田畑を持ってる者は、勝手に農地を売買したり交換したり出来ないという法律です。

どうしても売買したり交換したい時は農業委員会に報告して、その許可を得なければアカンのです。

で・・農業委員会に申請さえすれば、簡単に「あぁ、ええですよ」と許可を貰えるのかと思ったら大間違い。

そこが世の中はオモロイもんで、在り来たりの理由では絶対に許可が下りず、そんな許可なんか無視して法務局で手続きしようとしても法務局は受け付けてくれまへん。

今を遡ること・・・数十年前、バサマが亡くなってこの土地を相続し、申請しようとしたのですが、σ(*_*)が当時県外に住んでいたもんだから、「地元に住んで居ない者には、土地交換できない」と農業委員会が言ったそうです。

で・・σ(*_*)が退職してこの地に住み着いたから、もうええじゃろ・・と思って農業委員会へ相談に行きました。

あっ・・ちなみに農業委員会は役場の中に設置されているようで、担当の役所の人が居るようです。

写真の図面を見せて事情を話して、3者も了解しているので許可もらえるでしょうか・・と・・・そしたら、アカンかったのです。(T_T) ワアァ~ン・・・

まず、50アール以上の田畑の持ち主でないと申請資格が無いらしく、1人は良いが、σ(*_*)を含めたもう一人が、それだけの土地持ちでなかったのです。

その時は一度引き下がり、ネットで農地法3条を調べてみました。

そしたら「効率的運用に・・」という理由付けがあれば許可が得られるかもしれん・・というのが見つかりましてなぁ。

さっそくもう一度、代官所へ行き「図面を見ればわかるように、効率的・・という事で何とかならんか・・」と直訴しました。

代官所の人も、「ううむうぅぅ・・」と腕組みして考えこんでますが、「現在、畑として使用していない」という理由でダメでした。

確かに半分ほど耕作しておらず、荒地状態です。

ちなみに代官所の人は、最初からもんのすごく親身になってくれており、何とかなるもんならば、何とかしてあげたい・・という気持ちが有るのは、相談をしに行った時から、よぉ~わかってました。

代官所の人は「私も、それを考えてみたのですが、例え耕作していても、この件は難しく、農業委員会に申請を出されても、おそらく却下されるでしょう」と言い、この事は県の担当者にも、問い合わせしてくれたらしいです。

やっぱり、アカンか・・・
あの土地は未来永劫、バラバラのまま所有しなければダメなのか・・
子・孫の代・・100年過ぎても、あのまま経緯が、わからんようになるじゃろなぁ。

ガッカリしたσ(*_*)に、代官所の人がネットから印刷した紙を1枚くれ「これを参考にしてください。どうなるかは、わかりませんが・・」と渡してくれました。











選挙に行き、出口調査をしていたので協力してあげました。

はい、σ(*_*)は優しい人間なので・・・

入れた人の名前には、民主党候補に○を付けてあげました。
比例の所にも民主党に○付けてあげました。
支持政党には共産党に○つけてあげました。

アベノミクスは「悪い」に○つけてあげました。
生活の変化には「悪い」に○つけてあげました。

出口調査をしていたのは、あの有名な捏造新聞です。

はい、捏造新聞には、捏造して答えてあげないとね。(^O^)ナハハハ
子ども母親がPTA役員をやってます。

これって、自分から進んでPTAの役割を理解して、
子ども達の教育の一助けにでもなれば・・・と思ってではなく
押しつけられて、しかたなく・・なんですよねぇ。

もお、ハッキリ言って、だれも役員なんか、やりたくないと思ってる。

それでも、この組織が存在するんですよねぇ。
電波の押し売りである「犬・エッチ・ケー」と同じで。

今までの慣例とかが有り、
それプラス、だれかが、つまらん新しい行事を作ったら
次の年もやらなくちゃいかん・・と、延々と続く無限ループ。

だれも、それを断ち切ろうとか、止めようとか言い出さない。
お上には逆らわないという、日本人の典型的なカナシイ習性ですなぁ。(^O^)

で・・除々に行事やら親睦会やら・・何やら・かんやらが増え続け・・
昔は、こんなに沢山の行事があったろうか?

「お一人様、5本限りの安いニンジン」を
スーパーへ買いに行ってる、マズシイ庶民に
どおでも良い、聞きたくもない講演会に
高い金を出しての出席人数の割当も有る。

主催者や講演者は、せっかくの休みを駆り出され
イヤイヤ来た人達が、何人居るのか知っているのだろか?

もしσ(*_*)が何かの役員を押しつけられたら、積極的に会長に立候補して
「今までの、どおでも良いと思う行事は一切実施しない。
やりたい人だけがやり、強制は一切しない。
σ(*_*)の方針に反対するなら、いつでも会長職を解いて
別の人を選んでくれ。
喜んで、その人に会長職をゆずる。」と言ってやるんだが・・

はい・・グチモードでした。m(_ _)m すんまへん。
先日、この動画を見ました。

20年ほど前までは、この「うつ」という病気を知りませんでした。

その後、知ってる人が「うつ」になったと聞き、どんな症状なのかわからず、内容を聞いた事があり、「ふうぅ~ん・・」と全く他人事でした。

しかしその後、身近にもウツになった者を見ているので、よぉ~ウツの状態や周囲の状況が出ていました。
まぁ・・動画ほどのひどいウツではなかったが・・・

「うつ」という病気を良く知らない周囲の人は、何とか励ましたく「がんばれ」とか「しっかりせい」「どうするつもりなんじゃ」と言いたいのはわかるが、これ絶対に禁句なのですよねぇ。

近場で見ている者にとっては、言いたくても言えないのがツラい。

そいでもって世間体とかも有りますが、世間体なんか気にしたらオジャンです。

動画で「ウツは心の風邪みたいもんで、だれでもなる」と言ってましたが、ホンマにそう思う。

動画では奥さんが明るくやってましたが、なかなかそうやれないと思う。

周囲に気を遣い、優しくマジメな人がなるようです。

「手を抜く」「開き直り」という事が出来る人は、ならんじゃろなぁ。
兄からフイルムスキャナーを借りて、昔から持っていたフイルムをデジタル化しました。

もう忘れていた場面のフイルムも有り、懐かしいでんなぁ。

あんな事も有った、こんな事も有った・・と思いながらスキャンし、
つくづく周囲の人には迷惑かけて、お世話になったと思う。

全部スキャンし終えて、重大な何かを整理した気持ちになりました。

σ(*_*)が死んだ時には、ほとんど写真を残さないようにしようと思ってる。
残された人にしてみれば、他人の写真なんか興味有りまへんからなぁ。

「終活」とは、あの世への準備だけでなく、
「自分を見つめ直し、「今」をより良く、自分らしく生きる活動」だそうです。

確かにスキャンする「前」と「後」では気持ちが違いました。
先にも書きましたが、自分を見つめ直しますねぇ。

それにしても、フイルムスキャナーは使ってしまったら、もう不要ですね。
安くレンタルすれば良いのだが・・(^O^)
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