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最近、タダで日本一周をしようとするのが流行ってるらしい。
       ↓ (クリックしてね)
「0円で日本横断」
「50ccカブで日本一周」

σ(*_*)は、どうもこの「タダで・・・」という、人の善意を最初から当てにするコンジョが気に入らん。

「皆の支援が有って、その縁により旅が続けられる・・」というのが、タダでやるという意義・主旨らしい。

もしもσ(*_*)が越後霊場を巡礼中に「0円で旅する人」と出会ったら、以下のように言うだろなぁ


四国で遍路のカッコウすれば「タダで飯を食わせてもらえ、タダで泊めてもらえる」というような考えの人が居た。

「0円で旅する人達」も、この人達と同じで、しかもカヨワイ女を武器にした「コジキ」だと思う(キッパリ!!)。


「0円で旅する」なんてキレイ事を言わず、正直に「コジキです。困ってるのでお金や物をめぐんで下さい」とハッキリ言った方が、よっぽどスッキリして分かり易く、そお言うのだったら縁が有ったと思い、お金をめぐんでやると思う。

もう一度言いますが、「0円で旅する人」は「女を武器にしたコジキ」でσ(*_*)が一番嫌いなタグイの人種です。


追加・・・・

もしσ(*_*)がこの人達のように

「信仰心は有りまへんが、0円で越後霊場を徒歩で巡る計画してます。
行く先々でタダで宿泊・ご飯を食べさせてくれる方や協力してくださる方、連絡お願いします。
一緒に巡礼の旅を分かち合い、楽しみましょう。(ハアァ~ト)」

なんて事をブログに書いたら「何を小汚いジジイが、自分勝手な事をほざいてるんだ。やるなら一人で勝手にやれ」と袋叩きに会うでしょうなぁ。(^O^) ケケケケケ・・・
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先月30日に妙高高原へ行ってきました。

ここ越後の国に5年近く住み始めてから、まだ行った事がないので世間での「話しの種」、閻魔さんに語る「冥土の土産話し」の一つにでも・・と思いましてなぁ。

 「清水池」です。

雨が降っており、ホントはキノコが出ていないか・・と、それなりのカッコウで行ったのですが、雨のためキノコが崩れていたりしてダメでした。

シーズンだったらキノコ採りには良さそうな雰囲気の場所で、近くだったら喜んで毎日行ってたろおなぁ。

 「ドイツトウヒの森」と言うハイカラな名前がついてます。

「ドイツトウヒ」とは何かわからんですが、たぶん針葉樹の名前と違うかなぁ。

 牧場も有り、牛さんがジイッ~と見ていました。

 麓には「関川の関所」が有ります。

この坂道を「キンさん、ギンさん」がカゴに乗って登ったそうで、木門の所に像が飾ってありました。


 関所


 「ええいいっ・・!! もっと足を開かぬかっ!!」

あっ・・これはσ(*_*)が創作して書いてるんではありまへん。

ここの場所へ来ると、観光客を検知して「女取り調べ人」の声でスピーカで流れて来るんです。

ほれ「出女に、入り鉄砲」と厳しかった時代ですので、女の人が男のカッコウして関所破りをしようとする怪しい人物を取り調べている様子です。




先月の中旬頃、ヨメさんと孫が柏崎の海岸へ遊びに行き、ペットボトルを拾って来ました。

あっ・・いえ・・別にゴミ拾い大会に参加したわけではないんです。

 こんなの拾ってきたんです。

「メッセージボトル」と書いてあり、中に手紙が入ってました。

「私は貴男に、愛うえお・・・
 だからこうして、書きくけこ・・」

というような内容だったら、嬉しいんですがねぇ。(^O^)



上越市の小学生が8月中旬に流したらしい。

裏に「中に入ってる貝はあげます」と書いてあり、なかなか気前が良いですねぇ。

ただ文面を読むと、「これに手紙を入れて、もう一度流せ」というような事が書いてあり、果たして発送元に戻るじゃろおか?

別のだれかに届くような気もするが・・

しかし、夢がありますねぇ。

ずうっと昔、舳倉島というチッコイ島に居た時、台湾から中国本土へ向かって「台湾はこんなに発展している」という政治的チラシと針数本が入ってる袋を見つけた事があります。

なんで針?・・と思ったけれど、たぶん中国本土では針も無いようなマズシイ生活しとると思ったんでしょうなぁ。

残念ながら中は濡れていて紙はボロボロになり、針も少し錆ついていたので、そのまま捨てまいした。

海流に流されて、能登半島沖のチッコイ島まで流れてきたのですねぇ。

なんの変哲もない、くだらん風景です。



しかあぁ~しいぃぃぃ・・・お立ち会い!!
写真の〇印に注目してください。

はっ?・・何もオモロイモンが写ってねえ?

す・・すんまへん・・なんせ安物のデジカメで撮ったもんだから、よぉ~写ってまへんが、
ホンマは、そこには龍が雲間から顔を覗かせているんです。

ウソコケェ・・と言われる皆の衆

これで、どうじゃ!!
ヤスモンのデジカメで無理して精一杯拡大してやったぞ。
よぉ~、わからんかもしれんが・・・



はい、竜巻です。

ちょうど信州へ旅行へ行く途中、柏崎市内を抜けた所で見つけ、車を止めて急いで写真を撮ろうとしたら、デジカメの電池が切れとる表示。

ええいぃぃ・・この忙しい最中に・・竜巻が消えたら、どうするんじゃ。

急いでリュックから電池を出して、やっと撮りました。

初めて竜巻を見たなぁ・・なんか、ええ事有るかもしれん。
連泊する人も居るために、食事は飽きないように毎回変わります・・と書いてありました。

 1日目の夕食

 翌朝の朝食(1日目)

 2日目の夕食

 翌朝の朝食(2日目)

ホンマに毎回内容が違ってました。

そいで、普通の宿ならば海魚の刺身とか何とか・・山奥と関係無い海の物がワンサと出て来るのですが、食材のほとんどは山の幸でした。

エライ!!・・ほんまにエライ、ここまでする所は、あんまり無いと思う。

宿のジサマは、「ここはホントに見る場所が何も無い所で、宿のサービスも他の宿のような行き届いた物ではありません。ただ湯につかるだけの所です。」と言うとおり、ホンマに見る物は何も無く、近くの薬師堂だけだった。

はい、コンビニも土産物も食堂も有りません。

昼食は無いので、連泊する人は塩と梅干しを持って来てお櫃に残ったご飯を、オニギリにして昼食代わりにする人も居ました。

昔の宿は、自分用の残り物で、その日の昼食の弁当を作る・・という事が当たり前だったらしいですねぇ。

ジサマの言うように、確かに一流ホテルや御宿のような、いたりつくせりのサービスは無く、フトン敷き、食後のお膳は廊下に出すのは自分たちでしました。

宿に完全なるサービスを求めるならば不向きですが、一日中ノンビリと湯につかったり、世俗の煩わしい事を忘れるためボケェ~とする時間が欲しい人には、最適の宿と思います。



昔ながらの湯治場の雰囲気は残っています。



昔は、こんな感じの湯治宿だったらしいです。

残念ながら現在は使われておらず、ガラス越しに部屋の中を覗いてみると不要品などが積み重なっていました。

ジサマに聞くと、消防法の絡みが有るため自炊等が出来なくなったらしい。

まあ、たしかに火を使うと危ないかもしれまへんが、チビッと残念な気がする。

 昔は、こんな風に湯治客が多かったよおです。

この写真は、宿の廊下に飾ってあった物をデジカメで撮ったのですが、フラッシュが光り下の方が白くなっています。

 使われていない湯治宿へ行く途中に掛かっていた看板です。

「ホテル」とか「御宿」とかでは無く、「旅人宿」ちゅうのが、何とも言えん味わい深く、ええ感じがしますねぇ。
先週、越後霊場巡りに行った時、「湯治場」に泊まりました。

小千谷近くの山の奥に、人知れずにヒッソリとした秘湯が有りましてなぁ。
昔は湯治場として、長期滞在して自炊も出来たそうです。

栃尾又温泉の「神風館」(クノックしてね)という所で、そこには3件しか宿が無く、その道の奥は行き止まりです。

 この左側が泊まった宿です。

この3件の宿は親戚同士で、元は1件だったそうです。

 宿の中には、こんな部屋もあり、朝起きた時に、ザブトンに座ってタダのコーヒーを飲みながら、新聞を読みました。

宿に着いた時は、歩き疲れていたので、すぐに部屋へ入ってノビノビしたかったのですが、主人のジサマが「まず温泉への行き方を・・・」と言って、荷物をロビーに置いて案内しはじめます。

ここの宿は温泉がメインで、ツウの人にとっては、かなり有名な温泉らしいです。

一番上の写真に、二階の渡り廊下が有りますが、その右側の建物に「下の湯」というのが有り、この「下の湯」に入らないと、ここに来た価値は無く、この温泉宿に来る人は、それが目当てだそうな。

「下の湯」というのは、80段ほどの階段を下りて谷川付近に自噴している温泉らしい。

 これが階段です。

ジサマは、「この階段の木の材質は、全て桐です。」と言って自慢していたが、何で桐にこだわるのか、わからんかったが、足裏が冷たくないらしく湿気も取るかららしい。

食事後「下の湯」に入ってみました。

はっきり言ってヌルイ!!

「ゴラア゛~ヌルイぞぉ~・・もっと薪をくべて熱くしろ、カゼひいたらどうするんじゃ!!」と文句を言ったら、皆から笑われますので注意してください。

ジサマも「この「下の湯」は、体や頭を洗ったりする温泉ではありません。じっくり湯につかるための湯です。」と説明してました。

そのため洗い場は、一畳位の広さに、申し訳なさそうに蛇口が1個だけ付いており、その代わり湯船は15畳ほどの広さがあり、先客が三人、湯船にジイッ~と目をつぶって浸たり瞑想をしとりました。

σ(*_*)も体を浸かってジイッ~と瞑想しました。

脱衣所に「入浴の心得」ちゅうのが有りましてなぁ。

それには「静かに入りたい人のため、大声で話したり、むやみやたらの話しかけをしたらアカン」と書いてありました。

ええ事ですなぁ・・さすが湯治場じゃのおう。
日々の雑念を離れ、静かに湯に浸る。

σ(*_*)はあまり長湯をする方では無いので10分ほど浸ったら出ましたが、先客は一人が出ただけで、残り二人は、まだ瞑想をしとりました。

聞く所によると寝てしまったり、長湯し過ぎてノボセた人も居たらしい。

「上の湯」は入らなかったけれど、普通の熱い温泉らしいです。

そいで、「上の湯」「下の湯」は時間交代で、男湯と女湯に入れ替わります。

残念じゃたのおぅ、混浴でなく。(^O^)

今回は越後屋と一緒に行きましたが、越後屋が言うには、さすが女・・
「下の湯」ではオバハン同士が大声で話すわ・・話し掛けるわ・・だったそうです。


伊豆へ旅行へ行った帰り道に小諸に宿泊し、小諸城(懐古園)へ言ってみました。



ちょうど紅葉シーズンで、良かった。
なんちゅうか、紅葉の赤い屋根の下を歩いてるような感じです。

 

そんな所に、「草笛老師」という看板が有りボタンを押してみました。
すると、スピーカから草笛でメロディーが流れるんですなぁ。
草笛の音ちゅうのは、初めて聞きました。

「千曲川旅情のうた」というのを吹いてるらしく、かの有名な詩は知ってましたが、メロディまで有るとは知らんかつた。

草笛は途中から、その有名な詩を朗読しましたが、草笛だけの方が情緒が有るように思う。

この看板にも書いてありましたが、昭和33年より22年間、雨の日も風の日も説教代わりに、ここで草笛を吹いてた禅宗の坊さんがいたらしい。

スゴイでんなぁ・・・

古城を訪れる道行く観光客前で吹き続け、また最近までそおいう人が居たというのに、ガツ~ンとショックを受けた。

何も知らない観光客は物珍しく、ジロジロ見て行った事でしょうなぁ。
「あらあぁ・・小汚い坊さんが、草笛吹いてるわぁ」なんて言われながら・・

σ(*_*)が、こおいう場所で尺八を毎日吹くコンジョが有るじゃろか?
ましてや今、練習サボッとるのになぁ。

草笛の音程は、失礼ながら、ちとオンチな所も有ったが、全般的に情緒が有り近くの東屋で、ボオッ~と目をつむって聞いてると、なんとも言えん物悲しい音色です。

このテープが、その坊さんが吹いてた物か、他の人が吹いてるかは不明です。



この崖の東屋がある所に小さい木戸が有ったそうで、落城の際には、そこから落ち延びて行く予定だったらしい。

東屋の所から千曲川が見え、急な崖道を転がり落ちながら、千曲川の小舟に乗って逃げる予定にでもしとったんでしょうなぁ。

 これは、また別の東屋です。

知らなかったのですが、ここのどこかに「惜別の唄」ちゅう石碑も有ったらしいですなぁ。

いや、べつに石碑なんか、どおでもええんですが、σ(*_*)のカラオケの一番好きな持ち歌が「惜別の唄」なもんで・・見ておいても良かったかなぁ・・と・・。

歌詞の「・・この高殿に登るかな・・」ちゅうのは、今思うと東屋から眺める風景を何となくイメージできる場所でした。

「・・流るる水を眺むれば・・」は、千曲川の流れを唄ったのかもしれん。

「惜別の唄」をちっとばかしネットで調べてみると、歌の誕生物語(クリックしてね)が有るんですなぁ。

σ(*_*)としては小林あきらが唄ってたので、ええなぁ・・と思って覚えただけでしたが、σ(*_*)が気分良くカラオケで歌ったのを聞いた友人が「あっ、それ母校(中央大学)の歌じゃ」と言い始めて、何言ってまんねん・・と思ったが、誕生物語を読んで言ってる意味がわかりました。

 

 せっかく綺麗に紅葉している風景なのに、見苦しい越後屋が写ってしまいました。
 決してクリックして拡大画を見ないでください。
 夜、悪い夢を見てウナサレます。







σ(*_*)正直言いまして、伊豆半島に短い期間住んでた事はあっても、西伊豆方面は行った事がありまへんでした。

観光方面でも、あんまり西伊豆方面は有名でないようでんなぁ。

で、行ってみると・・・こりは、有名でないのも、仕方なかんべぇかなぁ・・と思ったのが、正直な気持ちです。スンマヘン。

伊豆半島と言えば「南国」「海岸美」というイメージがありますが、車で通る道が山の中を通ったりして、そんなに海岸が見れる場所ではないんですなぁ・・・わけても雨が降っていたもんで・・

そいでも通り道なので松崎町の駐車場に車を置き、近くの土産物店へ入りました。

観光客もいなくσ(*_*)らだけなので、あんまり入りたくなかったんだけれど、せっかく来たんだから、何か面白いモンでもないかなあぁ~と思って・・・

そしたら、やっぱし待ちかまえていた店のオバハンが「茶をどうぞ」と言って湯飲みを差し出すんですわ。

いや、そりはええんですよ、茶くらいは・・
その後なんだよねぇ・・・
土産物を見ている時に付いて来て、聞きもしねぇのに説明するんですよ。(T_T)

ホットイて欲しいんだけどなぁ。
土産物店に入り、何がイヤかと言えば、こおいう付いて来て説明されるのがイヤなんだけどなあ・・ウットオシイ。

店の人は親切心でやってるのは、よぉ~わかるが・・

σ(*_*)は前職の時にイベント実施した時に、テント内にパンフレットを置き、その前でガンバッテ、声を掛けたりして居た事がありました。

でも、そおいう所へは客が近寄らないんですよねぇ。
しばらくして、それに気づき、同僚に「テント内から出て少し離れた所で番をしていろ」と言いつけ、テント内を無人したら、客は勝手にパンフレットを持って行ってくれるんです。

「小さな親切、余計なお世話」という事ですなぁ。
イベントやってる人は、この人間心理を参考にしてくんなせぇ。
前に座って声を掛ければええというモンでは有りまへんでぇ。(^O^)

それはさておき、この町は鏝絵ちゅうのが名物らしいです。

どうせ大した事無いじゃろう・・それでも、せっかくここまで来たんじゃから話の種に見て行くか、たぶん生きて再びこの地を訪れる事もないだろうし・・と思いましてなぁ。

川向こうの中瀬邸という所へ行ってみました。

  明治時代のような時計台がありましてなぁ。
説明書きを読むと13時の文字盤が有ると書いてあり、改めて見るとホンマに有りました。

 時計台の後ろが中瀬邸ですねん。

   竜虎の鏝絵で、これを見た時、正直スゲエェ~と思った。

デジカメが安物だから、あんまり鮮明でないかもしれまへんが、龍のウロコやヒゲが1枚1枚丁寧に作ってあるんですなぁ。

σ(*_*)らシロウトが作ると、たいてい適当にゴマカシて、わかりやすく言えば「模様」のようになっちまうんですが、さすがプロ・・細かい所まで細工してあります。

この龍の鏝絵が気に入り、途中にあった「長八記念館」へも行ってみました。


途中にナマコ塀通りというのも有ったが、その一角だけだった。

「その記念館に入ってみると内部は寺でしてなぁ。
団体客に説明している途中で、それを聞き終わると、別の女の人がσ(*_*)らだけのためにもう一回最初から説明してくれました。

残念ながら室内は撮影禁止でしたが、ここもえかった。

先ほどの龍と同様、額に入った鏝絵の細部が良く見えるように虫眼鏡まで用意してありましてなぁ。

そいで天井には、これまたでっかい龍の絵が書いてあります。

「八方睨みの龍(クリックしてね)」といいましてなぁ、説明の人が「西側へ行って見ろ」とか、「東側へ行って見ろ」とか言いまして、言われるままσ(*_*)らが室内をウロつき、その度に室内の電気を点けたり消したりしてくれるんです。

そしたら、あぁたぁ~・・・
ああらあぁ~不思議・・・
龍の目が睨んだり、無表情になったり、見る位置によって龍の表情が違うんですがなぁ。

それをσ(*_*)らが口を開けて感嘆の声を上げながら説明を聞いてました。大したモンだわ。

その後、外の玄関側へ行き、そこの彫刻の説明をしてくれます。

 

σ(*_*)があんまりにも感嘆の声を上げるモンだから、説明の人がウレシかったのか、「オトウサン、この波の所に亀が二匹居るのみえますか?」と言ってくれたので「それ見つけると、幸せになれるとかの伝説が有るんでっか?」と喜んで逆質問しちまった。

なんせ龍の絵が、あんまりにも素晴らしかったもんで・・そんな言い伝えが有っても、おかしくないと思いましてなぁ。

西伊豆へ行く機会があれば、是非訪ねてみてくんなせぇ。
冥土の土産話として一見の価値は有ると思います。

 堂ケ島










 これまた久しぶりに石廊崎灯台へ行ってきました。

昔は人が住んでいたんでけど、今は無人化されています。

 下田方向を望む

灯台横の小道を行くと石廊崎神社へいきます。

その階段付近で最初に目に付く、猫のような岩・・これが祠になっていて、ご利益が有るような感じです。

 その猫のような岩の所から見た、石廊崎神社。

岩壁にへばり付くような感じの小屋です。

 しかし、小屋の中はこんな風になっています。

右手前ベンチ向こう付近、床がガラスになってます。
ガラスに載ったら割れて下へ落ち・・ないと思う、強化ガラスなので。



ガラスの下に何が有るか見てみると・・何も有りまへん。
ただ太い柱の棟が1本見えるだけです。

ゴルラアァ・・何も面白いもんが見えねぇじゃねぇか。
下の海岸の岩に白波が砕けてるのでも見れるかと思ったのにぃ。

しかし、皆の衆、落ち着け・・
あっ・・コラッ・・まだ帰るんじゃねぇ。

この太い柱には、涙無くしては語れない、そりはそりはカワイソーな深い言い伝えがありましてのおぅ。

むかあしぃ・・この沖を通った船が嵐に遭いましてのおぅ。
船頭さんが、こらエライこっちゃ・・と、普段は信心も無いクセに、この時ばかりは、天照大神を始め、お釈迦さん、キリスト・・と思い出す限りの何とか助けてくれそうな人に「助けてちょんまげ」と祈りました。

そんな、あぁたぁ~・・普段は信心もしてねぇのに、自分の都合の悪い時ばっかり「助けてくれ」ちゅうて泣いて頼んでもアカンですわなぁ。(^O^) ワッハッハッハッ・・・

そこで船頭さんが「もし助けてくれたら、ここに神社作るから・・」と交換条件を持ち出しました。

神さんも、それならば良かろう・・と思ったのかどうかわかりまへんが、ピタッと嵐が止み無事に江戸へ行って商いをする事ができましたとさ。メデタシメデタシ・・・

船頭さんは帰りの航海は目出度節でも歌いながら、この沖を通ったのでしょう。

その瞬間、今まで平穏だった海が荒れ狂い始めました。

船頭さんは、再び神さんやら仏さんやら、ややこしい邪宗教の神々に、自分に都合の良い事を勝手に祈ってた時、ハタと思いだしました。

そお言えば、ここで嵐に遭った時に神社建てると約束しとったなぁ。
チエッ・・まだ覚えてたんかぁ・・・
忘れてくれたら良かったのにぃ・・

と思ったかどうかわかりまへんが、とにかくその時の事を思い出したので、船の命という帆柱を切り倒し「すんまへん」と言いました。

帆柱は荒波に揉まれ、大波とともに、打ち上げられた場所が、このガラスから見える帆柱だそうです。

という事が書いて有る説明書を読んで、はじめてわかりました。
その説明書きが無いと、なんでこんな所がガラスになってるか、わからんでしょうなぁ。

 まぁ、確かにこの場所に神社を造るのはたいへんだったでしょうなぁ。

断崖絶壁の所だから陸地の方から山を越えて資材を持って来なければならんので、この帆柱も大波で打ち上げられん限り、山をエッサエッサと運んで来たんでしょうねぇ。









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