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ネットでは遍路シール問題が、燃え上がってますねぇ。(^O^)

そもそも遍路道とは、何か?

この根本的な事がマスゴミや他の人達は、わかってなく特別視しているような気がする。

ズバリ言います。
遍路道=旧道=昔の生活道。

遍路する人だけが特別専用に歩いた道が、遍路道でありまへん。

遍路の「遍」は、「あまねく、全ての・・」という意味であり、
遍路する人が、そこを歩けばそこが遍路道になるのです。

はい・・、あぁたの狭い小汚い裏道を遍路して歩けば、それが遍路道になるのです。(^O^)

で・・前回にも書きましたが、宮崎さんという個人の方が、
昔は旅人や遍路が通ったであろうと思われる旧道等を探して
「遍路道」として地図に掲載して世に出したのが始まりです。

宮崎さんの手紙にも書いてありました。
「遍路道として地図に記載しているが、どおしてもそこを通らなければならない・・という事は無い。」

これは昔の旧道を通らず、なぜトンネルを通る国道を歩くようになっているのか尋ねた時の事です。

その時の回答が「その旧道は廃れており、また距離的にも代わらず、特にそこを通らなければならない・・という理由もないので国道を通るようにした。」でした。

実際にその旧道を探して行ってみましたが、確かに藪になって完全に廃道となっており、もうだれも歩けない状態になっていました。

今、心を癒す道とか、世界遺産にどうたらとか、信仰の道だとか特別視していますが、遍路道は単なる旧道です。

「心を癒す」とか何とかは、四国の人達が遍路する人達に対する昔からの「思いやり」が他の地よりも有るからであり、それは遍路道だから・・ではありまへん。

マズゴミは寺に取材はするが、そんなもん表面的なキレイ事しか言わねえよ。(^O^)
何で一番最初に遍路道を紹介した宮崎さんの事を取材しないのだろおか?

そこを取材すれば、もっと違う記事になるはずなのにぃ。
記者の本来の取材仕事は、そおいうモンじゃないの?

何度も言いますが、遍路する人が、どおしてもそこを通らなければならないという道ではなく、
違った道を歩いたとしても、だれからも非難されたり、モンクを言われるスジアイのものでもありまへん。

ただ歩く場合は、今の車道よりも山越えなどの旧道を歩いた方が距離的に近いという事はあります。

σ(*_*)が越後霊場を歩いた時は、四国遍路の時のような地図が公開されてなく、自分で旧道を探し、山越えが可能かを調べて巡礼しました。

これがσ(*_*)の「巡礼道」でHPにも掲載しており、「これ以外の道は巡礼道ではない」とは絶対に言いません。

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「四国88カ所霊場会」について

新聞記事を読むと、霊場会が遍路札の権限を持っているような書き方で、貼るとか剥がすとかはケシカランと言ってるそうな。

いつから四国霊場会は、遍路札を付けるのに了解・許可を出すようになったんじゃろうか?

そおいう事の了解・許可できるのは、設置される所有者だけであり、決して霊場会ではない。

また以前から言われていたが、霊場会は遍路道の整備や道標の設置などに、どれだけの事をしたのだろおか?

都合の良い時にだけ、正義ヅラするのは、いかがなものかと思う。

それよりも、評判の悪い札所を何とかする方が先ではないの?

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「マスゴミ」について

何でか知らんが韓国絡みになると、美談や被害者・同情的に仕上げちゃう。

今回の件については、遍路札の表面的な事だけを捕らえて、どれだけ遍路札について調べているのか疑問に思う。

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「韓国女性の先達」について

「先達」とは、単なる道案内・ガイド役だけではなく、本筋がわかってないようですなぁ。

まぁ・・「先達」公認は、数回遍路して、どこかの札所の推薦が有れば、人柄とか何とかは関係なく、だれでも霊場会から貰える物らしく、それを発行してゼニモウケする霊場会もアレだが・・・

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個人的な思い

正直言って、どこの場所であれ、反日をやっているハングル文字なんか見たくもなく不愉快だ。
こおいう事を書くと「ヘイトスピート」とかに、なるんかな? (^O^)

でも見たくもなく、嫌いなモンは、キライです。

昨年、四国遍路して歩いた子供は、「10年前よりも遍路札が、もんのすごく増えていた」と言います。

ふうむうぅぅ・・σ(*_*)が歩いた時に遍路札が多かったのは、最初の難所と言われる焼山寺へ行く山道と、結願寺へ行く山道には、ズラッ~と掛かっていたが、今はあちこちで遍路札が掛かっているのじゃろおか?

その2カ所程度の所ならば、これも御愛嬌と、その気持ちもわからんわけでもない。

しかし、各地の遍路道沿いに、必要も無いのにズラッ~・・と遍路札を掛けられたら、そりゃあぁ、もう商業看板と同じで情緒も何も有りませんでぇ。
見てないから、どんな様子かわからんが・・・

老遍路と遍路札の事について話した時に「迷う事も必要だよ」と教えてくれました。

道がわからなくて人に尋ねる・・そこでその人との縁が出来る。
遍路とは、そおいう縁を深めるものだ。

また、ある関係寺の住職に、地図を出しながら道を尋ねた時、「地図なんか見るな」と言われて道を教えてもらった事がありました。

これは別にイジワルされたのではなく、人に聞きながらでも行け・・という意味で、老遍路の言った「縁を深めろ」と同じ意味です。

不安と期待を持って歩き、人に尋ね、その時に何を思い、何を考え、何がわかったか・・とトボトボと歩き続け、そこに至るまでの心の過程が大切だと言う事を教えてくれていたのです。

今でも、そおいう事を厳しく教えてくれる寺や遍路は居るのじゃろうか?

このような事を考えると、本来は必要最小限の迷わないようにとの遍路札なのだが、あちこちに必要でもない所に遍路札が掛かっているのも考え物だなぁ。

例えて悪いが、ゲーム攻略法を見ながら失敗もせずに、ゴールへ一直線に行くのと同じで、そんなゲームは面白いでしょうか?

遍路札を掛ける、もう一つの意味は、「自己満足」というのもあると思う。
はい、そおいう気持ちはσ(*_*)も有りました。認めます。

犬が電柱等にオシッコをかけて、自分のテトリーを主張するように、「自分もここを歩いたよ」という自己満足です。

その「自己満足だ」というのは、遍路札に自分の名前等も書いているのです。
σ(*_*)も、自分の尺八竹号の一字と越後屋の一字だけを書き「自己満足」しました。すんまへん。

でも、本来目的の遍路札ならば名前や、ややこしい事の記載等の必用ではなく、だれもがわかる矢印や形だけで良いはずです。

四国以外の各地の霊場巡りをして、あっ・・ここは迷う所で遍路札が有れば良いなぁ・・と思う所もありました。

でも、そおいう場所の方が印象に残るのです。

と・・言うわけで、何でもかんでも遍路札を付けるのは、いかがなものかと思う。

韓国女性が、自国の人にもわかるようにとハングルを記載しているようですが、「縁を深める」という事を知ってるのならば、自国のハングル文字は必要ではなく、形・印だけで良いと思う。

たぶん、そおいう事も知らずに、エラアィ~ィ「先達」さんになられたのでしょうなぁ。

遍路・巡礼をしていて、外国旅行者と何度か話しをした事があります。

でも、その人達は「自国語の標識が無い」と言って不満を言った人は一人も無く、各自それぞれ、たどたどしい日本語や、全く日本語がわからない人でも、十分に旅行を楽しんでました。

もし、老遍路が韓国女性に言うならば
「貴女のやっている事は、罪かもしれませんよ。
貴女が自国語のシールを貼った事により、自国の人がだれかに尋ねて「縁を深める」という「縁」を奪った事になる。」
と言うと思う。
新聞に「韓国人女性が四国に遍路シールを貼っているので、これを剥がしましょう」という貼り紙がある
これはヘイトスピートだ、許されないという記事が載ったらしいです。

数日前よりネットで、この事について議論されてましたが、今日の「新潟日報」にも同様の記事が掲載され、ふうむぅぅ・・・いよいよ全国的になったか・・・(^O^)。

韓国人うんぬん・・より、まず先に「遍路札(遍路シール)」とはどおいうものか?

遍路札とは、道導の無い山道とか、込み入った町中で簡易的に布をブラ下げて、ここが道筋だよ・・と示してくれるものです。

今から10年ほど前に、歩いて四国遍路をするのが流行し、σ(*_*)も歩きました。

その時、今有る遍路地図を作り、遍路札を設置したのは、宮崎さんという個人の方で、札所の寺や霊場会は、いっさいタッチしてませんでした。

後に宮崎さんの主旨に賛同して作られたのが「へんろ道保存協力会」の任意団体です。

人のいない山道を歩いてる時に、この道は本当に正しい道なのか?・・と、心細く不安に思った時、遍路札を見つけてホッと安心した時の思いは格別で、これを付けてくれた見知らぬ人に感謝する気持ちは、実際に歩いた経験者でないとわからんと思う。

そおいう思いをしたので、自分でも遍路札を、いらなくなったCDにペンキを塗って作成し、たぶん迷だろうなぁ・・と思う山道の数カ所取り付けた事があります。

しかし、ある人より、それは廃棄物を山に捨てるのと同じだと指摘されました。

そこで宮崎さんに手紙を出し、
1 これは遍路札の主旨と違うのか?
2 ついでに「へんろ道協会」の歩きデザインの絵柄もマネしたが、ダメなのか?
と問い合わせると、丁寧な自筆の返事をもらいました。

1 指摘した人の方が正しい。
  「へんろ道保存協力会」で作成する立て札は木造であり、長持ちするブラスチック等の方が良いのでは・・という意見も有ったが、木が自然に朽ちてしまい、後に続く人がそれを見て修理する人が出てくるという考えを持って、木の立て札にしている。
  100年後も山道に残るプラスチックの破片を見て、後世の人は、どう思うだろうか。
  自然に朽ちるという事も大切である。

2 「へんろ道保存協力会」のデザインは商標登録してあり、いかに遍路道のために使用すると言っても全て断っており、「へんろ道保存協力会」独自の物なので撤去して欲しい。

この返事を貰って、言われる事はもっともだと思い、既に取り付けていたCDを撤去しに、もう一度わざわざ山に入り、CDの代わりに、いつかはボロボロになって朽ちる白布に「同行二人」と朱書きしたものを取付ました。

σ(*_*)は山に入って勝手に取付ましたが、「へんろ道保存協力会」では山の所有者、あるいは電柱・建物やガードレールに貼るシール1枚についても、持ち主を探しだして了解を得て取り付けている。

どおしても持ち主がわからず、ここにどうしても必用と思われる所だけは、やむを得ず勝手に設置しているそうです。

今回の問題の一つに、所有者の了解を得て、シールを貼っているのか?というのがあります。





10/28~11/2、「平岩」~「木崎湖」の「塩の道」を歩いてきました。

紅葉を狙って行ったのですが、やっぱり少し早かった。
もう1・2週間遅いほうが良かったかもしれん。

久々の「平岩駅」2年ぶりかな?
駅ノートが置いてあり新しくなってます。

「えきのて」さんのイラスト絵が有るかなぁ・・とパラパラとページをめくったら、数日前に来られたようで新しく描いてありました。

2年前の絵


今回の絵

駅の特徴を良く掴まえていると思います。


白馬の峰は雪が積もってますが、朝早かったために霧や雲が出ていたため、全体が撮れませんでした。






青木湖です。


牛方宿
先日、新聞に「ハーメルン」という映画の舞台地が奥会津「昭和村」で、廃校を元にした設定だと掲載されてました。

写真を見ると良い感じの廃校・木造校舎です。


ただこの校舎は、何度も「取り壊し」の計画に上がっていたそうで、映画撮影が終わると壊されちゃうかもしれん。


奥会津なら、それほど遠くないので行ってみました。


ポスターのイメージから、大きい校舎と思ったが、思ったより小さい校舎だった。

そいでもってポスターではイチョウの黄色が上手く表現されてましたが、まだ紅葉には早過ぎました。




 


映画監督が、大きな木の有る廃校を探していたそうで、
確かに、この大きなイチョウの木は、この学校のシンボルツリーでした。

実は、この映画のアラスジも見なくて行ったのですが、帰ってから検索して見ると、このイチョウの木付近が、良い雰囲気を出しているのですねぇ。
もっとイチョウを主に写真を撮っておけば良かった。






校舎裏側

屋根にビニールシートが被せてあり、あんまり長く持たないかもしれない。




ホントは5月下旬に行く予定にしていたのですが、残雪が有るという情報で1ケ月遅らせて実施しました。







遙拝所から湯殿山神社の赤い鳥居。
御神体は、木の陰付近だと思う。

なんせまだ行った事が無い所だったので
鳥居付近かと思ってましたんで・・


湯殿山参道の分かれ道で
疲れ果てて座り込むカワイソーな越後屋。


湯殿山鳥居


なお、この六十里越えの様子は、たぶん来年3月頃、ホームページに掲載できると思います。
先日、山形県・庄内33観音を自転車で巡ろうかと思いましたが、天気予報で雨の予報が有り、3日間ほどしか晴れない。

その3日間で、羽黒山と庄内「松根」~湯殿山に有る「六十里越え」という山道を歩いてきました。

羽黒山麓にある資料館に入ると「ホラ貝」がありました。
吹き方が書いてあり、読んでみるとラッパと同じ原理ですねぇ。

はい、ブラバンやってたので、一発で音が出ました。!(^^)!
少し吹いてると、低い音・高い音も自由自在・・・(^O^)ヘヘヘッ・・・


羽黒山の有名所・・五重の塔


そいでもって、長い階段・・・

はい、上がって神社まで行き、
そのまま自然歩道を歩いて荒沢寺へ行き、車道を歩いて戻りました。

キツかったです。



「サムライ・ニッポン」
一枚撮らせてくれるように頼むと、刀をスラリと抜いてポーズを取ってくれました。

ただ・・刀の刃を下向きで差していたので、
「刃は上だよ」と教えて、直してやりましたが・・・(^O^)


お姫様 !(^^)!


山伏・お奉行・僧
この職種の人達が結託したら、村民からネングを絞り取れそおですなぁ。


「オババと早乙女」

オババにも、ん?十年前は、こんな若い頃が有ってのおぅ。

そりゃあぁ、もう・・村の若い衆から付け文なんか山ほど来たが、
そんなモンは全部焚き付けにしてしもたがなぁ。

1通くらい残しておけば良かったかなぁ・・今思うと・・・


町娘達と飴売り


「武士と股旅のジサマ」
この二人だけは一般市民のよおです。
掲載した他の人達は役所や村の人達が時代衣装を着たよおです。

股旅のジサマ、刀を右に差してるでぇ・・
せっかく、衣装に金をかけたのにぃ。

教えてやったが耳が遠いらしく、違う事を言い始めたので、そのままにした。


休憩場にて・・お疲れのよおで・・・


出たあぁぁ・・・!(^^)!
これ、毎年出てるよおですねぇ。

出て来た時は、後ろ姿しか見れ無かったけれど、この写真は越後屋が写したものです。

σ(*_*)は、こおいうのが、大好き。(^O^)
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